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(平成28年11月30日 更新)




アフターバーナーを焚いて離陸する最後の有人超音速戦闘機と云われた F-104J の勇姿  








ーーーーーーーは じ め に

 1人の戦闘機パイロットとして歩んできた 約38年間 (1958/11〜1996/08) には、多くの機種で
訓練飛行、領空侵犯機へのスクランブル飛行、整備、製造、領収の各種試験飛行を体験してきました

 もちろん、その中には大事故に直面する危険にも遭遇し、その過程で もしあの時、何等かの些細な過誤が自分に生じていたら、
或いは情況が少しでも悪い方に変っていたら、想像しえない怖ろしい大事故に至っていたかもしれない事が
7〜8件 は思い出されます

 その中でも 私にとって 忘れることができない 想い出深い一つの体験を、「自分史」 の 一ページ として、
そして後に続く多数の パイロット、そして整備の皆さんにその概容を知ってもらい、研鑚の参考にして欲しいと思いたち、

  『 三菱社内試験飛行 で体験した F-104J フラップ作動軸 の 折損トラブル 』

について当時、メモとして残していたもの、また 会社や防衛庁から提供された資料など、
その中で保存しておいた資料の一部などを基に その経過の概容を 纏めたものです


本トラブルについては私個人だけの問題ではなく所属した三菱重工や客先の防衛庁、
そして部品等の設計・製造に関係する会社、そこに所属する皆さんに深い関係のある内容を含んでおります

これまで引出の奥にしまい込んでおりましたが、発生から既に35年以上が経過し、十分な時間が経過しましたので、
自分史の主要な一ページとして、また今後試験飛行に従事される多くの方々に少しでも参考になればと思い、
記録として遺したものです。 (H15.02.05)




今から 約35年前の 昭和47年 (1972)、私もまだ36歳の血気盛んなテストパイロットとして、
国防の一翼を担っていると云う自負心の上に日々の仕事に限りない 誇りを抱いて、
連日、名古屋空港を本拠地としてジェット戦闘機 の試験飛行に汗を流していた頃の話です


当時、「最後の有人戦闘機」と云われた 超音速単座戦闘機 F-104J のコックピットにいつものように乗り込んで、
小牧南工場 で実施したオーバーホール整備作業後の超音速飛行を含む1回目の社内試験飛行 を実施しようと
日本海上空の試験飛行空域 (G-Area) に向かうため、名古屋空港の滑走路上を最大推力で加速してゆき、
将に機体が地面を離れ、浮揚しようとして車輪が地面から離れた直後のことです


私が 自分で操縦桿を握って操縦している その機体が全く私が意図しない
「 機首が急激に左方に偏向し 急激な右ロール 」
に入ると云う、極めて異常な機動を起こしたのです
パイロットの対応が最も弱い 低高度・低速度・高重量 と云う離陸直後に発生した異状だったのです


どうしてこの様な

「 これまで全く経験した事のない 異状な現象 」

が突発したのか、 機体にに何が起きたのか、 その原因が全く判らないまま、
この重大な危機を何んとか乗りこえて墜落させずに機体を無事に [名古屋空港滑走路上] に持ち帰ることができたのです

F-104Jが導入された直後の昭和47年頃、私は F-104Jの機種担当 に指定されました

  防衛庁がF-104J 1機を取得する国家予算は約5億円 と云われ、
  当時、流行りの4階建てアパート7棟造りの一つの団地が
  (1棟の建設価格が約7,000万円と云われていました)
  建設できる価格と云われていました


このような超高価な [国民の買い物] を悪戦苦闘の末、どうにか無事に名古屋空港滑走路上まで持ち帰ることができたのです

もし、万が一にも異常事態の回復に失敗していたら
満タンの燃料(ドラム缶約30本)を積んだ F-104J は
全開のアフターバーナーは巨大な推力を噴射し続けて
小牧基地から北方に向かって 犬山の街を抜けて真っすぐに
大きな火の玉になって走り抜けて行ったのではないかと、
想像するだけでこのまま生きてはおれない大惨事に
至っていただろうことが想像されます

勿論、私の家族も三菱重工のその後の存続も危惧せざるを得ない事に
なっていただろうと想像できます

一瞬の反応で機体の姿勢を立て直すことができたのはただただ神仏と父母のご加護のお陰だと感謝しています
もし、通常の離陸後の手順と同じように
  ギアーを上げたり、
  フラップをTO位置からUP位置にしていたら
操縦稈(翼)の作動角は半減し、
異常姿勢から回復することはできなかっただろうと想像できます

この瞬間に、そしてその後に、ギアーを上げたり、フラップを上げたりしなかったのが好結果に繋がったのです


以上が [離陸直後に突発した異状事態から回復できた推移] の概要です


無事に着陸した後の [事故調査] で 判明したことは

「 右フラップを作動させる フラップ・アクチュエーターのジャッキ・スクリューの破断 」

と云う これまで 発生したことのない、また予想もされなかった重大なトラブルが、
離陸直後の 最大重量で 超低高度 と云う 航空機にとって この上ない危険な条件下 で発生したのです



☆ 約3,000mの滑走路 の南端で各機は離陸前のエンジンチェックを実施します
その位置に 隣接して設置してある空自運用の [モビル・コントロール(通称モボ)] から
モニターしていた空自のパイロットが 目前で起きた状景を目撃して


    「 機体がエアボーンすると 同時に、急激に 右に ロールインし、

      ”アァッー・・ 右 チップ タンクが 地面に接触 して しまった ” 

     と一瞬 目を覆い、心臓がドキドキして、いっとき静まらなかった」


   との リアルな 目撃証言を 後から聞かせてくれました





ーーーーーーー F-104J #46-8651号機 離陸時のフラップ・アクチュエーター折損トラブルの経過


< 日時・天候等 >



  日時 : 昭和47(1972)年9月21日( 10:10 - 10:35 ) ⇒ D-day


  機体 : F-104J #46-8651号機 ( 47歳出契約の初号機  A-401  CF-1  TipTank付 )
      
全搭載燃料 ( 約 8,800ポンド,  ドラム缶にして 約30本 )
      
  雫石事故 ( S46,7,30 空自機と全日空機が空中接触し、多くの犠牲者が出た重大航空事故) の後は、
        安全を配慮して 社内試験飛行も全機 TipTank を装着し 搭載燃料を倍増して実施していた


  
試験飛行空域 :  日本海上空の空域 G-Area (T&A)


  
当時の名古屋空港の天候 :  10:00 (I)  Var 03  150  1/030  23/15  3001  (R/W 34)
                         ⇒ 微風・快晴で戦闘機の試験飛行には最高の天気でした



<異常事態の推移>

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-1] を参照


1.三菱重工 小牧南工場のランプで  いつものように エンジンを始動し、
   ”Pre Taxi check” (Taxi-Out 前に行う点検) も正常に終了


  名古屋空港 誘導路上 での 所定の ”Taxi check” (誘導路上で行う点検)も全て正常に終了


  離陸滑走路 (R/W34) 上で実施する 離陸直前の ”Pre Takeoff check” も全て正常に終了し、
  ブレーキレリーズ 直前の最期の計器点検も全てが正常であることを確認
   (この離陸前点検は [モボ] の真前で、その監視の下で実施)

  全てが正常であることを確信し、後は自分と機体を信じ、
  名古屋タワー管制官の離陸許可を再確認して次の離陸操作に移るのです


  何の不安もなく、いつものように自信に満ちた気持ちで 足圧を緩め、
  Brake-Pedal から Rudder Pedal に切換えると 同時に、
  Throttle を Full A/B (アフターバーナー全開) に進め、離陸滑走を開始します


  機体はいつものように滑走路中心の白線に沿って 次第に機速を増していき、
   瞬く間に 100ノット ( 時速 約185km ) に加速していきます



訓練に向かって誘導路をTaxi中 の F-104J 訓練を終えて無事僚機と帰投した F-104J


2.機速 約100 ノット を確認して Steering boton を Disengage し、
  170ノットの浮揚まで いつもと同じように操縦桿に ゆっくりと Back Pressure をかけていきます

  続いて その瞬間
首輪の浮揚が近ずくと同時に、機首が急に左に偏向し始め、
 左の翼が 右翼より一瞬早く ごぼう抜きに 浮揚して、
 機体が異常な速さで右ロールを入ってしまったのです
* 左横風による WeatherVane が生じたのかと誤解したのです
 誤った判断をしながらも機体の回復に専念にしたのです
  ⇒ 当日は微風(Var 03)の好天で [Weather Vane ] が起こる気象ではないことは
    事前に十分に承知していたのですが
    パイロットが犯しやすい 瞬時の誤判断を起こしていたのです


3.機体は Nose Lift 直前から 機首を左に振り、浮揚すると同時に 急激に右に傾き、
  操縦桿を左一杯(約8cm)に取ってどうにか姿勢を回復できたのです

  機体は滑走路の上から大きく右に逸脱して、最終的には 40度以上 右にロールインして一瞬のうちに
  小牧基地の ベースオペレーション が 右真下 に大きく迫って 視界に入ってきたのです
  怖さが高揚しましたが、回復操作へ集中できたのが成功の源でした

4.スロットルを握る左手 ( Full A/B 位置 ) と、操縦桿を握る右手を抱き合わせるようにして
  やっと左最大の操舵をして、両手でその重さに堪えて機体姿勢をやっと復源できたのです

  操縦桿の上のトリムボタンで エルロントリムを 左一杯に取って
   (トリムスイッチ 約7秒の作動で最大位置になるが操縦稈は中立位置から移動しない) 、
  更に、操縦稈を左に最大量(約6〜7cm)を取ってやっと水平飛行ができたのです
  機体を水平位置まで回復することができ、その後は
  ゆっくりとした上昇姿勢に移ることができたのです

  先ずは機体の回復に成功し、機体と自分の命を失わずに済んだのです


  これでどうにか 墜落はまぬがれ、命も失わずに済んだのです
   神や仏が一緒になってが助けてくれたのです

結果的に この突発的な緊急事態を 先ずはクリアーして、
高価な機体を 三菱重工のランプまで持ち帰り、
整備員の手にひき渡すことができたのは、
決して私の操縦技量だけに依るもものではなく、
「全てが天の助け」に負うものであったと今でも信じ、
神・仏に感謝の念を抱いております  そして
「天の上にいる両親の霊が助けてくれたのです」
「それ以外には考えられない命がけの瞬時の出来事だったのです」



 「 後は お前が 命懸けで 全力で やれ 」


とその時、云われたような気がしたのです
  その後の自分は魔力が乗り移った自分だったように思います


あの時、機体 と 搭乗している 私を万に一つの可能性で死なせなかったのは
 亡き両親が天国からの差し延べてくれた救いの両手だったのか、
 それとも、神や仏のご慈悲によるものか、それ以外に何ものでもないのです

  「 親父、お袋  ありがとう」


5.機体の異常姿勢から回復できたその直後に、
  操縦桿の 送信ボタン (ステアリングボタン) で
  「名古屋タワー」 と 「三菱タワー」 に
 『 Big Emergency 、 Big Emergency 、 Request Scrammble for Chace 』
  と 緊急事態発生を宣言して 必要な支援を 地上に通報・要求したのです


6.やっとのことで機体を水平安定の姿勢に戻し、
  安全高度の 約 4,000フィートまで 上昇した処で ギアー(3脚)を上げました
  ( Flap Lever は離陸時設定の "T/O" 位置のまま(揚力のため)におき、その後一切 動かさなかったのです )

@.脚 (Gear) 下げのままでは 抵抗が大きく、
  また APC (Automatic Pitch Control) が不作動で 飛行続行に危険であると判断したのです

A.逆に 脚 上げ では Aileron の作動量が、脚下げ時より約半分に制限される デメリット があります
  操縦桿の頂点での操舵量は 脚下げ時: Max約 7.9inch(20cm) → 脚上げ時:Max4.2inch(10cm)に半減

B.[コントラビリティ・チェック] を実施:
  フラップ : T/O  脚 :上げ  の状態で 300ノット での水平直線飛行には
  操縦桿を 左へ約 3.0〜3.5inch の偏位で操縦が可能であることを確認
    ( 必要な操舵力は 約 9ポンド = 4kg )


7.機速を 300ノット に安定したところで
  所要のパワーを使い、ゆっくりと 約 10,000〜11,000フィート まで上昇


8.ラジオの周波数を 「三菱タワ−」 に切り替え、[ 異常事態の経過概要 ] と
  機体の現状、機長の今後の意図、地上に要求する支援の内容など を伝える


9.操縦桿を更に左に偏位させて 軽度の左旋回を続けながら、余分の残燃料を消費
  ( 機体が右ロールに入る傾向にあるので絶対に右旋回してはならないのです )


  できるだけ早く余分の燃料を消費して機体重量の軽減を図るため、
   適宜、スピードブレーキでを出して抵抗を増やし、
   安定飛行を維持できる範囲で A/B も使用した
   (最適の操縦性を維持するために 10,000フィートで約300〜320ノットで飛行)
    (F-104Jは Fuel Dunmping Systemが装備されていない )


   適宜、スピードブレーキを使用し、安全に飛行できる範囲で A/B を使用して燃料を消費
    (最良の操縦性を維持するためには 10,000フィートで約 300〜320ノットを維持 )


10.「三菱タワ−」 (地上指揮所) に逐次 機体の現状 と 飛行位置・高度などを報告し、助言を求めると、

   地上指揮官の野津工場長 ( 関根飛行課長 )から
『 着陸には危険な状況と判断されるので、海上に出て Bail out してくれ 』
 との 指示が 送られてきたのです


11.最悪の場合を想定して、射出座席による 海上での Bail out について
   自分なりにいろいろとイメージ してみたのですが
   どうしても 安全に Bail out できないと判断したのです
   (一瞬でも操縦桿から手を放すと、その瞬時に機体は急速な右スパイラルに入り、
     座席に働く強い遠心力で安全な脱出は不可能と判断した )

『 このままでは Bail out は できません。
  操縦性の確認して 機長判断で名古屋空港に緊急着陸します 』

  と 「 名古屋空港への緊急着陸の希望 」を地上に伝えたのです


12.機体重量を減らすため 残燃料を 約4,000ポンド(ドラム缶 約12本)迄減らし
   海上で高度を 約 4,000フィート まで降下してから

   [ Simulated Landing Approach Check ]

  を行って何ノットまで安全に操縦できるかの確認を実施しました

  着陸態勢(3脚下げ、フラップ T/O 位置)で [ Controlability Check ]を実施して安全性の確認を実施
   *[ Controlability Check ]とは:何ノット迄減速しても安全に操縦できるかを確認する試験です

その結果
  現在のトラブルの状態が このまま着陸・接地・停止 まで持続してくれるならば、
  230 ノット 迄減速しても、どうにか最低限の安全性を確保しながら
  空港まで機体を持ち帰ることができると最終の判断をしたのです

  * 操縦桿を 左へ約 3.5インチ位 偏位した位置を中心にして機体を操縦する必要があり、
   約 9ポンド = 4kg の 左方へ Fs で操縦可能が確認できたのです
   この操作力は着陸まで持続する訳ですから必要な腕力は大きな量で、過去に経験のない必要な腕力でした

    ( F-104J は F-15J など と異なって、エルロン・トリムを使用しても 操縦桿は中心位置のままで、
     今度のトラブルでは機体を水平に保つためには更に
     左に最大 約3.5インチ (約9cm) の偏位が必用だったのです) 
     (F104Jの試験飛行時は操縦稈の偏位量測定のためインチ目盛りの
      紐を装着しておりそれを利用して偏位量を確認できた)


13.緊急着陸を強行したいと云う 機長 (自分) の意図を
  「三菱指揮所」 と 「名古屋タワー」 に伝え、両者で調整されて
  緊急着陸の強行が承認されたのです


14.10:24 名古屋タワ−の周波数 (CH-2) で、名古屋空港 に対し
『 Emergency (緊急状態) 』
   を宣言し、飛行場に緊急事態発生時の対処をしてもらい、空港エリアから自分の機体以外は全て排除されたのです


15.希望する着陸方式を 無線で次のように要求しました
『 Request Straight In Approach Landing from 8 miles South. 』
   管制官から直ちに次のような着陸許可をくれたのです
『 Your Request is Approved,  Report 8 miles South of Nagoya Airport. 』


16.滑走路 (R/W 34) の延長線上 約 8マイル の地点に ファイナル・レグ の チェックポイント を設定し、
   速度 230 〜 235 ノット で 滑走路に接近していきました


17.滑走路の南端 地上約 1フィ−トの高さで 機速をゆっくりと
  220 kts (430km/h) になるように減速し、主脚 (Main gear) を滑走路に接地させました (接地10:32)


18.接地と同時に 機首を路面に降ろし、注意深く かつ迅速・効率的に 減速を始めました
* 接地速度が 通常の速度 (約150ノット) より 約70〜80ノット 速い
* フラップが LAND でなく、 T/O 位置なので 減速率が極度に悪い事を予期する
* ドラッグシュートの制限速度は180ノットなのでそれ以下になるまで 開傘できない ⇒破断落下の可能性が大
* 苛酷なブレーキの使用は バーストや 車輪の発火の可能性もあり、2次的事故の原因にもなりうる

19.首脚 (Nose gear) が接地すると同時に(左右のドラッグ差に依る)予期していなかった強烈な Nose shimmy が発生

     * シミー軽減のため 操縦稈にバックプレッシャーをかけて、首脚の荷重を減らして滑走


20.Nose shimmy が発生したので、Steering Button が使用できないので、
  Brakes の左右差を利用して方向維持に努める
  細心の注意を払って 180 kts まで減速できたことを確認して、
  Drag shute を開く  ⇒残滑走路長が 3,000フィートを切っていた


21.滑走路前方に アレスティング ギアー (BAK-9) が接近してきたので、
  万一に備え [Aresting Hook] を降ろして万全を期した
  ( Aresting Hook の使用は私には初めての体験)


22.滑走路 北の端に設置されている BAK-9 の処で、Flat Tire することなく、
  中心白線上で無事に機体を 停止することができた


23.接地後に発生した強度の Nose shimmy のため、
  首脚 Tire に横方向の異常な磨耗跡が残っていたがバーストはしなかった
   また 首脚 ストラットからシミーによる潤滑油の漏洩が少しあったが、
   何等の損傷も生じることなく、無事に滑走路上に停止させることができた


24.4台の緊急消防車両とアンビュランスが近くで回転灯を点滅させながら取り囲んでおり、
   その中を支援に駆け付けてくれた104課整備班の戸田機付長と手信号で交信しながら、
   地上との連携・指示でスロットルをカットオフし、エンジンを停止した


25.機内の S/W 類は 事故調査のため、できるだけそのままにして、射出座席の安全ピンを挿入し、
   両足につけている [ガーター] をはずし、高いコックピットから
   整備員の手助けを借りて 滑走路上に飛び降りたのです


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-2] を参照



ーーーーー< 原因不明のまま この重大緊急事態 の 第一段階は無事に終了したのです : 10:35 >





ーーーーーーー かげのはなし


1.当日は快晴・微風のすばらしい好天で、最高の試験飛行日和であり、自分の体調も Best でした


2.三菱ランプを出て、空港前を Taxi 中、右手に見える空港タ−ミナル屋上の展望台から
  黄色い帽子の小学生が大きく手を振って見送ってくれているのが見えたので、
  キャノピーを開けて手を大きく振ってそれに応えてやったのが想い出に残っています


3.離陸滑走を開始して、速度が増してくるにつれ 機首が次第に左に偏向 しようとする傾向が
  発生し、方向保持のための修正に予想以上の 右ラダ−が必要だったのです
     ☆(強い左横風によるウエザーベーン現象と誤解し対処したのです
       ⇒これも飛行中によく生じるパイロットの過誤なのです)


4.機体が浮揚すると同時に発生した予期しない急激な 右 ロール にへの対応に遅れはなかっただろうか
[右に傾きはじめた時から本能的に左操縦桿とエルロントリムを左にとって対応したが、
予期していない大きな量が必要で、初動の遅れと絶対量の不足から十分な量に至らず
小牧基地ベースオペレーションの真上近くまで右ロールして逸れたのです
対応が一瞬でも遅れていたり、間違っていたら 墜落・大惨事に至っていた事は
間違いのない大きな突発トラブルだったのです
思いだすと 今でも 身の縮む怖い思いがします


5.異常なこの機体を水平に戻し、安全飛行を持続するために (Gear Down の状態で)
操縦桿を最大可変量に近い 左 約 7.9 インチ(約 20 cm)まで偏位させ、
その時の操舵力は 左方に 約 16 ポンド(約7kg)の操陀力を要したのです
この日から 数日間 右腕に疲労の痛みが残っていました


6.機体の右ロールインの原因となるような残念料量の左右アンバランスや
フラップ、脚等の指示等に飛行中、何らの異状も発見できなかったのです
[ 左右の Tip Tanks の燃料も左右均等に減少しており、正常に移送されていたのです ]

[ フラップ位置指示器は 飛行中 正常な ”T/O ” 位置を示していたが、
 フラップ指示器の信号源は 左フラップ の系統から採られているので、
 右フラップの異常はパイロットに伝えるシステムになっていなかったのです ]

 [コックピットから目視での異状確認をしようとしたが、
 機内にある3つのミラーを駆使しても
 ヘルメットを着用する機長からはフラップは死角になり 視認は不可能だったのです]
  ( 今回の反省から、その後の飛行には小さなミラーを携行しており、
   その後、他のパイロットにも携行を奨めています )


7.もしかして 「 右の Tip Tank には鉛でも詰められているのではないか。」
 と一瞬疑ったのです  <これもパイロットの思考過誤です>



8. もし [Flap Actuater] のトラブルが右ではなく、左で発生していたら
 今回のトラブルに対する回復操作は成功しなかった可能性もあるのではないかと想像します

 何故なら、[Control Stick] の左にはちょうど良い位置に [Throttle] があり、
 それと抱き合わせて持つことで
 [Fs] は倍加され、安定して必要な偏位を維持することができたのですが、
 反対に、もし折損トラブルが左の [Flap Actuater] で発生していたら
 [Control Stick] を右に偏位させるための補助となる物が右側には何もなく、
 また、右方へ偏位させる腕力 [Fs] は左方への力に比べて極めて弱く、
 あの長い時間を耐えることは機長(わたし) には到底できなかっただろうと思います

 人間 (機長) は左方に押す力 と 右方へ押す(引く)力には大きな差異があり、
 [左Actuater] での発生でなかったことは不幸中の幸いであったと思います



9.離陸直後の 『 Big Emergency 』  のコールは瞬時に、無意識に送信していました

       「 Request Scrammble for Chace 」
    は後から想えば一寸オーバーですが空自出身の私らしい瞬時の発声だったのです



10.左旋回 のみを続け、右旋回をしなかったのは
* 今回のように機体が右に Bank In しようとする時は
 直進を主用し、旋回が必用な時は左に限って
 それも最小の旋回をするのが 飛行安全の基本 です


11.上空では右手が疲労してつらかった
  ( 4ポンドから 16ポンドの 左 Stick Force を約 20分間保ち続けなければならなかったため)
 [ 時々、操縦桿 と Throttle を併せるように両手を組み合わせて操縦を続けたのです ]

 [ 空中で操縦桿 と Throttle を紐で結んだら楽になるだろうと思いつき、
   何か適した紐はないかと探したが、無理な願いでした ]

 [ また、操縦桿から手を放すと 一瞬にして急激な右旋転に入ってしまう状態だったので
   安全に Bail out することは難しく、
   万一 強行した場合,重傷を受けて生存できる可能性は少ないと思いました ]


12.[ Straight In Landing ] のために段々と高度を下げていく間、
「現在のこの異常な状態が そのまま最後の最後まで回復しないで続いていてくれと祈って接近を続けました」 

なぜなら、

[ この原因不明のトラブルが突然正常状態に復帰したら、
  左方向一杯のエルロントリム と 最大に近い左操縦桿で
  機体は急激な左旋転に入って、
  瞬時に低空で墜落してしまうことは明白だったからです ]


 不明な原因が [工具の置き忘れに依るもので、それが外れて落ちて原因が除去されたら
 起こりうることでもあるのです
 兎に角、最終まで同じ異常な状態が続いてくれたから助かったのです


13.接地後の強烈な Nose shimmy の発生は事前に全く予期 することができなかったのです
* Nose shimmy の原因は Flap の左右非対称による
  左右のドラッグ (空気抵抗) のアンバランス によるものです


14.接地後、特に注意を払ったことは、
〇、車輪を Flat Tire させないこと
〇、Brake の焼き付けを起こさないこと
〇、Drag chute を破断したり、落下させないこと
〇、Off R/W や Over Run しないこと
 (万一の時は Hit Barrierしてでも機体を滑走路上に停止させる事に専念したのです)


15.機体を滑走路上に停止した後、エンジンを停め、機体から脱出して滑走路上に下り立ったとき、
  無事な機体を見て思わず 「 有り難う 」 と叫んでいました
* 両翼フラップは目視点検では 左右対称に下がっており、
 その時点では異常な現象の原因は発見できませんでした

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-3] を参照


* 両翼のエルロンは 上空で使用した左方向への最大トリム量に相当する量が
  偏位しており、何らの異状も見つからなかったのです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-4] を参照


16.その後、機体は急いで三菱重工小牧南工場に牽引され、
  閉鎖されていた空港は点検の後、正常運航に復帰しました


17.小牧南工場の第4格納庫 に牽引・格納された機体は、
   保安係の監視下で 関係者以外は立ち入り・接触を禁止しての
   特別警戒態勢 のもとで直ちに原因調査に入りました
当初は 誰か悪意のある [サボタ−ジュ] に依るものではないかとの疑いで対応されていたのです

18.特に機体の 左右対称性 について、精密な アライメント計測 が実施されたが、
   定期検査での計測データと比較して変動もなく、
   トラブルの原因に結び付く異常は発見されなかったのです


19.F-104課所属で当該機の機付長の 戸田社員 が昼休みの原因調査中に
   偶然 右フラップ を持ち上げた処、[T/O位置から上方になんの抵抗もなく動く] ことを発見したのです
* 着陸後の地上では 右Flap は自重により T/O位置まで下がっており、外見上左右対称だったのです

* 整備基準に示された当時の飛行前点検では、
  BLCの噴出孔から高温・高速のエアーが左右均一に正常に流出していることを
  整備員が手の平の感触で確認する手順のみで
  フラップを上下に揺すって調べる点検項目はなかったのです 
  その後、手順が改善されて
   [フラップの上下のガタの有無を確認する]
  ことが要求されたのです

* その後の調査で
 
「フラップ・アクチュエーター内の Jackscrew の破断によるトラブル」
であることが判明 したのです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-5]
 を参照


20.分解検査の結果、その破断した 右の フラップ・アクチュエーター 内の [ジヤッキ・スクリュウ] は
   今回のオーバーホールで交換・装着された [新品の部品] であり、
US製の輸入部品で ロット番号の末尾に 『−R』 のついた部品であることが確認されたのです


21.
当該トラブルの対策・処置として 次のような 「普通実施」、 「至急実施」、 「即時実施」 の
   TCTO (Time Compliance Technical Order = 期限付技術指令書) が 順次 発出され、
   航空自衛隊に装備されている全ての F-104J / DJ に対して点検 ・交換 ・ 整備 の指示が発出されました


◎ 普通実施 TCTO #819   昭和47年10月24日発行 ( D-day から 33日後に発出 )
ーー  <普通実施: 10日以内  但し期限日を経過した後も飛行を禁止しない>

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-6] を参照

目的 : 後縁フラップ・アクチュエーターのジャッキスクリューが折損した不具合が発生したので
      輸入品の特定ロットジャッキスクリュー組込のアクチュエーターを抽出検査し、
      品質および信頼性を確認するため交換を行う

特記 1: Ser.No の末尾の 『−R』 の特定なし。


◎ 至急実施 TCTO #822  昭和48年01月23日発行 ( D-dayから 124日後に発出 )
ーー  <至急実施: 指示受領後直ちに  期限日を超過した後、なお未実施の場合は飛行を禁止する>

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-7] を参照


目的 : 後縁フラップ・アクチュエーター・ジャッキスクリューの輸入品について抽出検査(TCTO #819)の結果、
     不具合が発見されたので輸入品(特定ロット)ジャッキスクリューの亀裂の有無を点検し、
     事故を未然に防止する。

特記 1: Ser.No の末尾の 『−R』 と記されているものを特定。


◎ 即時実施 TCTO #828
  昭和48年06月13日発行( D-dayから 165日後、千才基地でのパイロット殉職から 7日後に発出 )
ーー  <即時実施: 指示受領後直ちに 実施完了まで飛行禁止 アラート機は任務終了後直ちに>

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-8] を参照



目的 : 後縁フラップ系統の不具合発生を防止するため点検を行い、飛行安全の向上を図る

特記 1 : ジャッキスクリューのSer.No の点検方法、ならびに末尾に末尾『−R』のついたもの、
      および判読困難なものは 適用TO に従いアクチュエーターを交換する

特記 2 : 末尾 『−R』 の一連番号は 『-1R』 から 『-99R』 の範囲であり、
       な お 『−R』 と 「-3」、「-8」、「-B」、「-H」、「-K」、「-P」 等の文字を
       間違えないようにとの 注意が付記された

特記 3 : その他、作業手順の細部についても記述された

特記 4 : なお点検終了後、実施の結果を 
ア、A/C No、 
イ、Act. P/N、 
ウ、Act. Ser. No. 
エ、Jack Screw Ser. No. 
について 補給統制処長(第2部長気付)宛 に電報で通知するように 特に指示された



22.昭和48年06月06日 (D-dayから 約 9ヶ月後)千歳基地の近くに墜落炎上事故、パイロット殉職
F-104J (#56-8664) は千才基地の場周経路 Downwind Leg で
突然急激な左 Rollに入り、
操縦不能で墜落炎上し、パイロットは殉職
事故調査の結果、当該機の左 Flap の ジヤッキ・スクリュウが
至急実施 TCTO #822 で交換を指示されていた 『−R』 の部品であったことが判明した

* この墜落炎上・殉職事故の7日後に 即時実施 TCTO #828 が発行された
 最初から適切にTCTO が発行され、厳格な点検と的確な整備作業が実施されていたら、
 この死亡事故は未然に防止できており、 尊い人命 と 高価な航空機(国有財産) を
 失うことはなかったと思われ 残念でならない



23.昭和49年09月10日 (D-day から 約2年後) 那覇基地 (207sq).
   トラブルを起こした当該 F-104J 機は墜落・海没、 パイロット殉職
自分に素晴らしい体験を与えて呉れた当該 F-104J機 (#46-8651) は残念ながら、
那覇基地 での夜間飛行で着陸進入中に消息を絶ち、機体は海没してその機体の生涯を閉じた
搭乗パイロット (防大13期・大矢2尉) は脱出に失敗して殉職



24.昭和53年11月09日 (D-day から 約6年後)
 新田原基地. F-104J墜落・海没、 パイロットは脱出成功

F-104J (#46-8615) 高畠山沖を飛行中、
機体が突発的に左に旋転(4回 :パイロット証言)して
操縦不能になり、パイロットは緊急脱出に成功して無事帰還
機体が海没したため原因は不祥であるが、
類似の原因に依るものではないかと疑問が残っておる



25.昭和47年10月17日 三菱重工 名古屋航空機製作所長から
 【事業所表彰1級】
  を受賞


   * 名航所長室 (大江工場) で 東條所長 から賞状と金一封を頂いた
    その帰路 愛知県庁に立ち寄り 副賞の賞金の4万円を 自分の無事生還に感謝して、
    身障者施設への寄贈をお願いして帰宅

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [資料-9] を参照





ーーーーーーーーー む す び

私は、試験飛行を担当するようになってからは、アサインされた機体のコックピットに乗り込み、
エンジンを始動し、試験飛行に向かうために 「チョーク アウト(車輪止め外せ)」 の手信号を送る時、
決まって次の一言を彼らに云い残していました


 『 これから後は 俺が責任をもって操縦し、無事に機体を持ち帰って
   君の手に渡すから安心して地上で待ってて呉れ。   じゃー行って来るよ  バイバイ。』


この言葉は整備員に残していくだけでなく、 声に出して 自分自身にも 再認識させていたのです


機付長以下 十数名の担当整備員は 強い責任感と、わが子に注ぐと同じような深い愛情をもって整備し、
埃一つ残さないように ピカピカに 拭きあげ、 自信満々で 私に 全てを託してくれるたのです
彼等にとっては家族・愛児と同じように貴重であり、また超高価な国有財産を 私一人の手に委ねてくれたのです


試験飛行に飛びたつ機体は金属の塊を テストパイロット よって初めて飛行機に生まれ替われるのです
無事に飛んで初めて鉄のかたまりが高価な航空機に生まれ替われるのです
何処かに欠陥が隠れているかもしれない
それを発見して 正しく整備員に伝え、 完全に整備してもらい、
安全に飛行できる機体にしていくのが 「テストパイロットの仕事」 なのです
理由の如何を問わず テスト飛行の間に 機体を破損したり、損失したりしては 意味がないのです


約 38年間 のパイロット生活を通じて 「自責事故」 は勿論、「他責事故」 も起こすことなく
無事故・無違反で乗りきることができたのです
また 上に記述したような 重大な トラブル をも克復して機体を滑走路上に持ち帰り、
整備員に原因の探求と対策処置を委ねることができたのは、テストパイロットとして
このような信念を バックボーン に生きて来た結果だと信じ心から感謝しております


 [資料-10]を参照





 [資料-11] を参照
   (プロ意識について)  






- 以上 -





  三菱名航労組の役員へ『社内試験飛行について』の [講演]

平成4年(1992)2月8日(土) 三菱名航労働組合 井高委員長の依頼で労働組合の役員約40名を対象に

  『操縦士としての体験と飛行の安全について』

の題目で昭和47年9月21日に発生した「F-104jの重大トラブル」 について講演を実施しました

日々、仕事の現場で実際に機体を分解し、再び組み立て、機能試験をしたり、安全に飛行できる機体に仕上げる事が任務の皆さんには興味のある話題だったので熱心に聞いてくれました

途中、日ごろの疑問なども交えて多くの質問してくれ、講義を盛り立ててくれました

実質 約1.5時間の講義が実施できました









  独立技術士小委員会長 安藤 雅彦氏からの依頼で過日実施した [講演]

  日 時:平成27年12月10日 (木) 15:10〜16:50

  場 所:名古屋市 国際センター前
       花車ビル北館6階 日本技術士会中部本部 6階会議室

  演 題:『ジェット戦闘機の試験飛行について』

  講演の要旨は当日議事録作成を担当された田島 暎久氏様(川重)の記述を利用してそのまま下記に転載します

講演の題目

 「ジェット戦闘機の試験飛行について」

講師 元三菱重工テスト・パイロット  日 伴介 氏
講師は 昭和10年生まれの80歳  山口県宇部市出身  昭和33年防衛大学校卒業後、航空自衛隊の操縦コースに進みジェット戦闘機のパイロットに
昭和44年、防衛庁割愛で退職して、三菱重工のテスト・パイロットとしてF-4戦闘機とF-15戦闘機の導入に係わる
当会の安藤委員長とは「歩き遍路の会」で知り合う

 講師略歴 昭和10年生まれ80歳  山口県宇部市出身  防衛大学卒業  航空自衛隊の戦闘機パイロット
 昭和44年、防衛庁割愛で退職して三菱重工のテスト・パイロットとしてF-4戦闘機とF-15戦闘機の導入に係わる

講演内容:
・操縦した機種は、T-34, T-6G, C-172, MU-2, MU-300, T-1, T-33, T-2, F-86F, F-104J, F-1, F-4EJ, F-15J の13機種にわたり、総飛行時間は 8,142時間
・テスト・パイロットは、何かトラブルがあることを前提で搭乗し、そのトラブルを見つけて持って帰ることが仕事
・パイロットは飛行中の気圧低下や酸素不足等により誤判断に陥りやすい
*最も忘れられない重大トラブルは 昭和47年遭遇した にF-104J の緊急着陸です
 燃料満タンで離陸直後に右へ大きくロールインしたため 間一髪で操縦桿を左一杯に倒し エルロントリムも左一杯に使って
 何とか姿勢を回復し上昇を持続
 脚下げのままではAPC(自動ピッチ制御)が効かないので危険であり、機体が落ち着いた後に脚上げ
 操縦席からはチップタンクの先端しか見えないので何が起きているのか着陸するまで全く判からなかった
 F-104は燃料放出機能がないためスピードブレーキを出して過剰の燃料を消費し、機体重量を減らした
 会社からは「海上に出て脱出せよ」との指示があったが、操縦桿を離すと急激に右にロールインするため脱出不可能と判断して、
 離陸時のフラップ状態のまま何とか小牧基地に緊急着陸した
 原因は、右フラップ駆動装置の軸(ジャッキスクリュウ)が破断して右フラップが固定されないままフラフラの状態になり
 左フラップは正常な位置であることが判明した
 このトラブル対処がWELL-DONEで三菱重工名航東条輝雄所長から事業所表彰1級を受賞した

・破断した右フラップのジャッキスクリュウは定期修理で新品の部品(米国製S/N:ーR)に交換したばかりのもの だったので、
 自衛隊のF-104全機に対して駆動装置の点検・交換を指示する技術指令書(TCTO, Time Compliance Technical Order) が発行された
 緊急事態発生の約1ヶ月後の S47,10,24 に発行されたTCTOは「普通実施」の格付けだった
   その 約5ヶ月後の S48,01,23 に「至急実施」のTCTO に格上げされて発行され再度点検交換が督促された
 それから約5ヶ月後に 千歳基地で パイロット 1名が殉職する重大航空事故が発生し、その事故調査の結果、
 原因は同じSN(ーR)のジャッキスクリュウが交換されないまま使用されていた事が判明し、
 間もない昭和48年6月13日に「即時実施」のTCTO に格上げされて再度発行された

・今回の重大トラブル発生の後、操縦席から機体の状況が確認できるように [小さな反射鏡] を
 飛行服のポケットに入れて携行しており、その後の社内試験飛行で役立った経験があります

・西濃運輸で使っている「プロとは」の6項目を紹介
・藤本儀一氏の言葉「プロとアマのちがい」を紹介
  「アマは嫌いなことを避け好きなことだけをやる傾向があるから、本当に好きなこと・やりたいことができない。」
 これに対して
  「プロは嫌いなことも進んでやるから好きなこと・本当にやりたいことができる。」

・「昭和一桁症候群」として10項目を紹介
 (参加者全員が自分のこととしてうなずく)

 Q&A:
 Q:これまで操縦した機種で良い、悪いどうですか
 A:F-86とF-15は安定性が良く操縦し易すかった
   逆に F-104 と MU-2 安定性、操縦性が良くなく操縦し難い機体だった

 最後に講師が愛用していたGスーツ、飛行服、ヘルメット が披露された
ヘルメットは米国でカスタマーフィッチングの特別仕様で造った軽量のヘルメット
 重いヘルメットだと飛行中の大きいG(最大8G)にも耐えられるようにしたのです
 会員の村橋氏がGスーツを試着



総会終了後 隣のビル1階レストラン「大彦」 で懇親会が開催され、それに参加してから帰宅








    『第6回次世代ものづくり基盤技術産業展:TECH Biz EXPO』での [講演]
    日 時:平成28年11月16日 (水) 10:30〜12:00

      ホームページ : [ http://www.techbizexpo.com/ ]
          次世代ものづくり Tech Biz Expo
          第6回次世代ものづくり基盤技術産業展




[ 2016 第6回 TECH Biz Expo ホームページ ]





[ 講演実施の日程スケジュール紹介のページ ]





[ 講演内容の概要 ]




[ 講演を聴講する会場の皆さん ]




[戦闘機パイロット装具一式着用 (マネキン)]


   [講演実施までのの経過]


  去る 2016,07月中旬 名古屋国際見本市委員会プロジェクトマネージャーのK氏から自宅に連絡が入り
  所属の名古屋国際見本市委員会についての紹介があり
  ”日高さんのホームページを時々観ているがその中で紹介している
   『F-104のトラブルについて』の内容に関連して
    [プロ意識の重要性について]
   当会が毎年秋に実施の 「Tech Biz Expo」 の席で地元の自動車・航空機産業の現場で活躍中している
   各分野の技術者等を対象に 「プロ意識の重要性について」 講演して欲しい”
   との要請がありました

  最初は戸惑いと場違いの私には不向きとお断りさせてもらいましたが再度の熱い要望があり、
  お世話になって育った郷土の産業育成の為に少しでも私に役立てることがあるのであればと再考し
  慎重な気持ちで引き受けることになりました
  早速、準備に取り掛かり、K氏と適時電話で調整しながら進めて行きました

  当日、参集された約100人の皆さんを前にして、緊張して上ずる気持ちの中で素人丸出しの講演を始めました
  約45年前の昭和47年9月に経験したトラブルは離陸から着陸までの僅か20分の短い時間でしたが
  独り機内で生存・帰還を願って必死にトラブった自機を操ってどうにか飛行場まで持ち帰ってきたのです
  その間、僅か20分間でしたがその中身は時々刻々変わっていく重大で豊富な筋書きでした
  そしてこのトラブルに打ち勝って無事に帰還できた後に追随して起きた殉職を伴う重大航空事故など
  多くのページを使っても容易には筆述できないものがあります

  それをジェット戦闘機の操縦に関係の薄い方達に理解して貰えるように話すのは大変な苦労でしたが
  高い関心を持って来場された方達ですから、適切に理解してもらえたものと思います


  本題の講話を終え飛行装具の体験試着の前に付録的に次の2項目について雑談的に私見を述べました

  (1)、定年後の趣味を準備して定年を迎える
     「貴方の趣味は何ですか」と尋ねると「ゴルフだ」と答える人が多いと思います
     定年後の人生は実に長い年月が死ぬまで続くのです
      衰える体力、変化する環境に順応できる趣味
      老後の健康維持増進に役立つ趣味
      財力内で支出可能な趣味
      家族みんなで楽しめる趣味
     楽しい趣味は日々延びる寿命を有難くしてくれます

  (2)、定年後に(高所)登山する機会が増えてきます
     3000mを超えると誰もが酸素不足になります
      =高山病、低酸素症、ハイポクシア
      =過呼吸、ハイパーベンチュレーション
     即ち、酸欠です
     酸欠で起こる自覚症状は人によって違うので初期症状を記憶対応
      * 視野が狭くなる
      * 四肢の末端に冷たさを感じる
      * 自分の症状を記憶し対応すること
     高山病の対処
      →肺胞の残気を力一杯吐き出す
      →ゆっくり呼吸する
     過呼吸(ハイパーベンチュレーション)は
      →低酸素症を引き起こし危険です

 - 以上 -          








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