(平成19年03月22日 作成)
(平成25年01月07日 更新)


[ 四国百八霊場の図 ]



第 一 部
( 発 心 の 阿 波 )



[第二部 修行の土佐]

[第三部 菩提の伊予]

[第四部 涅槃の讃岐]


     『 人生 七十 古来 稀なり


杜甫の詩に由来して、日本では古くから年齢が70歳になると「古希」と称して家族でその長寿を祝う習慣があります

本来は数え年の70歳で古希を祝うのがしきたりですが今は数え年が使われないので昨年(平成17年)11月、満年齢の70になり元気に古希を迎えることができました

自分の周囲には無事に定年を迎え、これから残された長い人生を楽んでいこうと云う時になって病床に伏したり、あるいは去っていった例を少なからずみてきました

しかし、今の自分は満足な五体を維持できて今日に至り、毎日を健康に過ごしております

このように健全な身体で古希を迎えることができたのは何よりも今は亡き両親と終戦前後の疎開時に気難しかった私を育ててくれた母の妹夫婦の叔父・叔母のお陰が全てだと信じております

健康で強い肉体と途中で投げ出すことのできない根性は自分の流した汗の量にも依るが、それ以上に両親から授かったDNAが今の自分の根源であることは事実です

また自然や動物の有り様に限りない愛着を感じる今の自分があるのは、小学校4年(昭和20/7)の夏から中学1年(昭和23/7)の夏まで戦中・戦後のまる3年間の疎開時代をべこと共に石州井原(島根)のしなびた山村で、子供のいない叔父・叔母が深い慈愛の中で育ててくれたお陰であり、今はこの4人に返すことはできないが、限りない肉親のご恩を感じ感謝しております

昨年11月、家族のみんなで祝ってくれた「古希」の宴を機に今は亡き父・母、そして叔父と叔母に対して感謝と追悼の気持ちを込めて四国のへんろ道を独りで歩きながら心の会話をして来たいと思い立ち4年振り、3回目の 独り歩き遍路の旅 に出る決心をしたのです

もしかしたら今回の歩き遍路は自分にとって最後の歩きになるような気もします

今回は思い切って過去2回の八十八ヶ所巡りのコースに別格20のお寺を新たに加えて108のお寺を通しで歩いてみる決意をしました

20のお寺の中には八十八ヶ所巡りの経路上にあって楽に参拝できるお寺もありますが片道15km以上も離れ、高い山頂の辺鄙な処にあって案内の少ないお寺もあり、決行を決意した後もいろいろと不安な気持ちが消えず結願して帰宅するまで不安の連続でした

この苦しい歩きの中で亡き4人の方と心の対話をしながら無事に108全てのお寺を参拝して結願できた今は、充実した達成感を満喫しております

途中リュックを紛失する失態を起こして急遽帰宅を余儀なくされたり、春の季節には珍しい30℃を超える暑い日があったり、また急転して5℃の寒い日になったり、例年になく雨の日が多く 悪天候に悩まされた43日間の 歩き遍路の旅 でした

お大師さんのご利益にあずかり足の痛みを感じる事もなく、約1,380 kmの道のりを 209万歩余 をかけて元気に歩き通し、 目的の108寺全てを参拝し結願できた事は最高の幸せです

最後に重ねて4故人のご恩に対し深謝の念を捧げます



☆ 『 四国に 出発

H18/3/08 (水 移動日) 晴れ

* 行程:[自宅] →車→ [JR春日井駅] →JR→ [JR名古屋駅] →バス→ [JR深夜高速バスで徳島へ]


21:30 孫の一皓君、陸人君を乗せて娘婿の忠泰君が自宅まで迎えに来て、[JR春日井駅]まで送ってくれる
[春日井駅]を22時過ぎの電車に乗って [名古屋駅]に向かう(\230)

駅の北の端に [高速バス発着所]のエリアがあり、そこから徳島行きの深夜特急バスは出発します

深夜になってくるとじわじわと寒さが増してくる できるだけ装備を軽くするために少しの寒さは我慢しようと薄着で来ているので一刻も早く暖房の効いたバスに乗車させて欲しい

定刻の10分前になってやっと松山行き高速バスの [オリーブ松山号](A-1席 \6,600) が、8番スポットに入ってきた 早速2人の乗務員が検札を始め、済んだ乗客から順次車内に乗り込んでいく やっと順番がきて乗車できた

車内の照明は既に暗くなっており、足もとが見えにくいが乗車券の番号で自分の席は最前列であることが予測でき、容易に席に着けた

バスは定刻の23時を7分過ぎたところで動きだした 客席には空席が見あたらないくらいほぼ満席の状態です

囲りは厚いカーテンが下ろされて、外の明かりは見えない

リュックを足下に置き、備え付けの紙スリッパに履き替えてリラックスしていると、間もなく減灯され、明朝5時の [JR徳島駅] 到着まで車内は睡眠態勢に入ったのです



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☆ 『 徳島駅 から 歩く

H18/3/09 (木 歩き遍路 初日) 晴れ

* 行程:徳島駅(05:25) ⇒ [1番 霊山寺](08:35) ⇒ [2番 極楽寺](09:25) ⇒ [3番 金泉寺](10:15) ⇒ [3番奥の院 愛染院](11:15) ⇒ [4番 大日寺](11:45) ⇒ [5番 地蔵寺](12:15) ⇒ [別格1番 大山寺(H400m)](14:20) ⇒[民宿寿食堂](15:25)

* 歩いた距離:40,1km = (Σ 40.1km)

* 歩数:62,000歩

* 宿泊:「民宿寿食堂」(徳島県板野)(\7,300)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


暗くなった3列の座席の間の狭い通路を車体の揺れを両手で支えながら下の階にあるトイレで用を足す 徳島駅に着くまでに3回もトイレ往復を繰り返した
最近は薬を服用しているせいかトイレが近くなり特にこんなバス旅行の時は困ってしまう

バスはほぼ定刻の05:05に徳島駅前に到着した 降りたのは自分以外に2人の男性だけで、間もなく次の目的地に向かってバスは発車していった

人気の少ない駅ビル構内のベンチにリュックを置いて、ウインドブレーカーを脱ぎ、上に白衣を着て白手袋をはめ、歩き遍路らしい格好に衣替えして早速出発する

[霊山寺]までの約15kmの道を4年前のコースとは少し西側にずらしたコースをインターネットの地図から選定し、見易い地図に書き直して準備してきた

05:25 駅舎を出発 右回りに出て踏切を越え、[霊山寺]を目指して北に向かって歩き始める ここら辺りは4年前に歩いた路なので懐かしく思い出せるし、迷うこともなく歩いて行ける これから始まる50日ばかりの歩きへんろ旅の第一歩だ

街灯の下で地図を確認しながら R-30を約 2km 北上し、[吉野川橋]の手前で左折、川沿い(R-15)に約 3km 西向きに歩いて行く 4年前はこの[吉野川橋]をみぞれ交じりの強い風を左の頬にまともに受けながら暗闇の中で歩いて行ったのを思い出す

右折して吉野川支流の [鮎喰川]に架かる [弁天橋]を渡って R-41 を約 1km 北上する

そして 今度は吉野川の本流にかかる長さ 1km もある [四国三郎橋] を渡って歩いて行く

丁度橋の上では下流の方から朝日がまばゆい光を放ちながら昇ってくる処だった 風もなく柔らかな日差しの中、欄干の下には川底まで透き通った [吉野川]がゆったりと大きな塊となって下流に向かって動いて行くのを見送りながら軽快な気持ちで歩いていく

汗ばんできたので渡りきった橋の袂で白衣の下に着ていた長袖を脱いで半袖のTシャツと白衣だけになる 急に涼しい風が地肌に触れて何とも気持ちがいい

この[四国三郎橋] から北北西に約8km先が1番の札所 [霊山寺]だ

途中、地図にのってない小径に入り込んでしまい、再々迷いながらも 08:30やっと [霊山寺]の山門に到着できた

道路を挟んで [山門 (仁王門)] を写真に納める

今度のお遍路では 各お寺の[山門の写真]を撮って歩き、歩き遍路の足跡の証にしようと決めて来たのだ この写真がその1枚目だ


今回の歩き遍路では 各お寺を次のような手順でお参りしようと決めて出発した 勝手に自分で決めた自己流のやり方で正規には許されないことかもしれないが宗派を問わない四国遍路だから、敢えてこのように決めて来たのです

これまでの2回は 「般若心経」 を唱えることさえできなかった自分からすれば少しは進歩と云える


 (1)、八十八ヶ所と別格20寺、併せて108寺を通し歩きでお参りする
 (2)、108寺では山門、仁王門などを写真に納めて3回目のお遍路の証にする
 (3)、各お寺では、本堂と太師堂に参拝する
  次の手順で参拝する
   @山門を外から撮影する
   A山門前で脱帽して拝礼する
   B[手洗い場]で手を洗い、口をすすいで身を清める
   C梵鐘をつく(禁じられたお寺もある)
   D線香を焚き、納札(300枚を事前に準備)を納札箱に収め、賽銭(5円又は10円)を献め、釣り鐘をならす
   E教典(暗唱できないため事前に準備)を見ながら 「般若心経」 を唱える
   F『南無大師遍照金剛』(弘法大師御宝号)を3回
    『閔堅院釋晃照不退居士』(亡父竹次の戒名)を3回
    『妙相院釋尼芳照大姉』(亡母マツの戒名)を3回
    『柘植五市殿』(亡叔父の戒名不詳のため俗名)を3回
    『柘植タケ殿』(亡叔母の戒名不詳のため俗名)を3回
     唱え、そして

      「親父。 お袋。  叔父さん。 叔母さん。
       有り難うございました。
       お陰さまで元気に古希を迎える事ができました。 」

      「親父。 お袋。  叔父さん。 叔母さん。
       あなたと話がしたくなり また四国を歩きに来ました。 」

      「あなたから頂いたご恩のお陰で 元気で歩き続ける事ができます。
       最後の結願まで頑張って歩きます。
       どうか無事を見守っていて下さい。
       有り難うございます。 」

   G「別格20寺」では別格寺専用の納経帳(大山寺で購入)に納経(各寺とも\300)してもらい、念珠(\300/1玉)を購入する
   Hお寺を退出する時は山門前で振り返り脱帽して拝礼する
 (4)、八十八ヶ所では納経は省略するが、参拝のあと時間の許す範囲内で境内を散策し回想する


[霊山寺]はいつもの様に多くの参拝客で混雑している しかし、JR板東駅の方から歩いて来るお遍路さん姿は見あたらない 6年前の初めてのお遍路の時は白衣に菅笠姿のお遍路さんが次々と[板東駅]から[霊山寺]へ向かって列をなして歩く中に自分も一緒について歩いたのだが今朝の小路には歩いて来るお遍路さんの姿は見えない

[霊山寺]境内の参拝者は多くが白衣を着て金剛杖を持ったお遍路さん姿の団体客で、各地から観光バスで来た人たちの集団だ

中には夫婦や連れだった仲間同士が自家用車やタクシーで回っている人も見受けられる

その中に白衣を着てリュックを背負った連れのいないお遍路さん姿の参拝者は自分と同じこれから歩き遍路に出発する人たちだ その中には区切り打ちの人と通しで歩いて回ろうとする人がいるがその区別は分からない

混雑する中を縫って本堂と太師堂にお参りし、本堂右側の売店に靴を脱いで上がり、[歩き遍路者名簿]のノートに日付と氏名、住所を記入して[霊山寺]を後にする   そして次の[2番極楽寺]に向かう

出発の時間が少し遅かったせいか、今日は自分の前後に歩き遍路の姿が見えない 自分の前に歩きへんろの姿が見えない時は何か間違った道を歩いているようですごく不安になる こんな時は道案内に特に注意して見落とさないように気をつけないといけない


最初の別格寺 [大山寺] へは [地蔵寺]から約500m北上して、高架で走る[徳島自動車道]の手前の広い国道を左折し、西へ約2km余り進んだ処に大きな信号交差点がある
その交差点(手前に案内あり)を右折して北上して山道に入って行く

約5kmあまり行くとしなびた[大山寺]の仁王門がでんとして真正面から出迎えてくれる

山門までは連続した長い緩やかな上りのコンクリート道が続いており、参拝者をしっかりと疲れさせてくれる

往きはは良いとして帰りに薄暗くなって間違った道に入り込まないように間違いやすそうな場所では小さく裂いたティッシュを目印に置いて行くように準備してきた
迷いそうな分岐点に目につきやすいように置いて行く

山門からまっすぐ急な長い石段が奥の本殿に向かって延びており、[大山寺]は深い山の中にあるしなびた威風堂々としたお寺です

車での参拝者にはこの急な石段を上らなくても山門の下から右に曲がる道が続いており、境内まで車で往ける緩やかな道が続いております

参拝を終わって宿の [民宿寿食堂]迄の道のりは案内が殆どなく特に山間部では間違った道に入り込まないように絶えず前うしろを見て記憶を確認しながら歩きます
また上るときに印に残して来たティシュを確認しながら用心して下って行き、人里に着いたら住人に再々聞いては確認しながら歩きました 特に山の中の下り道は薄暗くなり始めて人っ子一人見えない何とも孤独で淋しい帰り道でした

帰りの途中で一度道に迷ってしまい、いま来た道を引き返したりして時間を食い 15時過ぎにやっと宿にたどり着きました 宿に着くと案内されてすぐさま一番風呂に入れてもらったのが何よりでした


「 霊場1番 霊山寺 仁王門 」
(2006年3月9日 : 08:37)
「 霊場2番 極楽寺 仁王門 」
(2006年3月9日 : 09:26)
「 霊場3番 金泉寺 仁王門 」
(2006年3月9日 : 08:37)
   

「 霊場3番奥の院 愛染院 山門 」
(2006年3月9日 : 11:18)
「 霊場4番 大日寺 仁王(鐘楼)門 」
(2006年3月9日 : 11:47)
「 霊場5番 地蔵寺 仁王門 」
(2006年3月9日 : 12:17)
   

「 別格霊場1番 大山寺 仁王門 」
(2006年3月9日 : 14:21)



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☆ 『 いい宿 紹介

H18/3/10 (金 歩き遍路 2日目) 雨 後くもり

* 行程:[民宿寿食堂](06:25) ⇒ [6番 安楽寺](07:13) ⇒ [7番 十楽寺](07:48) ⇒ [8番 熊谷寺](08:51) ⇒ [9番 法輪寺](09:02) ⇒ [10番 切幡寺](10:21) ⇒ [11番 藤井寺(H140m)](12:32) ⇒[旅館吉野](13:30)

* 歩いた距離:24,3km = (Σ 64.4km)

* 歩数:38,000歩

* 宿泊:「旅館吉野」(徳島県鴨島)(\7,300+Inet)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


雨のなか参拝を済ませ傘を差して[安楽寺]を出発し、7番の[十楽寺]への向かうへんろ道で西へ曲がる処を直進して南に行きすぎてしまい、途中からお寺の場所が判断できなくなってしまった

前方から来た車に手を挙げて雨の中でいやがる運転手に無理に停ってもらい、[十楽寺]へ行く道を教えて貰う 後帰りする形であぜ道や民家の中庭を通らせてもらい、やっとの思いで 7番にたどり着くことができた
思いもよらない所まで行っていたのだ

翌日に難所の [焼山寺]登山を控えての [藤井寺]近くには、宿屋はこれまで [ふじや旅館] だけで、いつも満室だったりで不便を感じていたが、お寺から500mの処に[旅館吉野]が新築オープンしており、部屋は新しく食事、設備、サービスとも最高のレベルで、夫婦で温かくもてなして下さる宿が誕生していたのです 新しい歩きお遍路さんには大いに推薦しますので是非泊まってみて下さい

[吉野]を出発する時、「インターネットで紹介して下さい。」と奥さんから云われ必要な資料を貰ってきたのですが、後述する [3/12 の事件] でその資料を紛失してしまい約束を守る事が出来なくなってしまった
  ([吉野旅館]の奥さん:約束が守れなくてごめんなさい。   資料が入手できたら追記で案内させて貰います。)


  * このページを見られたお遍路さんはこれから是非[旅館吉野]を利用して下さい  きっと大満足です


「 霊場6番 安楽寺 仁王門 」
(2006年3月10日 : 07:13)
「 霊場7番 十楽寺 仁王門 」
(2006年3月10日 : 07:48)
「 霊場8番 熊谷寺 仁王門 」
(2006年3月10日 : 08:51)
   

「 霊場9番 法輪寺 山門 」
(2006年3月10日 : 09:02)
「 霊場9番 法輪寺 仁王門 」
(2006年3月10日 : 09:28)
「 霊場10番 切幡寺 仁王門 」
(2006年3月10日 : 10:21)
   

「 霊場11番 藤井寺 仁王門 」
(2006年3月10日 : 12:32)


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☆ 『 全て 順調

H18/3/11 (土 歩き遍路 3日目) 晴れ

* 行程:[旅館吉野](06:30) ⇒ [11番 藤井寺(H140m)](06:45) ⇒ [長戸庵(H440m)](08:05) ⇒ [柳水庵(H500m)](09:10) ⇒ [一本杉庵(H740m)](10:00) ⇒ [12番 焼山寺(H700m)](11:35) ⇒ [杖杉庵(H440m)](13:05) ⇒ [植村旅館(H040m)](16:25)

* 歩いた距離:23,8km = (Σ 88.2km)

* 歩数:39,000歩

* 宿泊:「植村旅館」(徳島県神山)(\7,300)

一緒に汗を流しながら焼山寺に登り、心地よい日差しのなかで腰を下ろしておにぎりを食べ、そして一緒に焼山寺を下りてきた7人の仲間のうち2人(男性1人、女性1人)とは鍋岩分岐で別れ、残った男性ばかり5人は今夜の宿の [植村旅館]を目指してみんな元気に一緒に歩き、16時過ぎ旅館に到着した

4年前、[植村旅館]に宿泊した時はひどく疲れ果て、夕暮れて暗くなってから独りで玄関にたどり着いた時その直ぐの部屋で夕食を終わって雑談中の先客の2人の元気そうな姿を見て自分が余りのも哀れに思えたことがいま思い出される

入浴のあとみんなと今夜はみんなと賑やかに夕食をいただき、軽い疲労感の中で明日の準備を終わり早々と床についた

   [明日の重大なハプニングの事など夢にもみないまま]



「 長 戸 庵 」
(2006年3月11日 : 08:06)
「 柳 水 庵 」
(2006年3月11日 : 09:13)
「 一 本 杉 庵 」
(2006年3月11日 : 10:01)
   

「 霊場12番 焼山寺 仁王門 」
(2006年3月11日 : 11:35)
「 杖 杉 庵 」
(2006年3月11日 : 13:07)
「 弥勒菩薩石像 」
(2006年3月11日 : 14:28)
   


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☆ 『 長い ながい 1日

H18/3/12 (日 歩き遍路 4日目) 曇り

* 行程:[植村旅館](06:30) ⇒ [別格2番 童学寺](08:15) ⇒ (新童学寺トンネル)(08:55) →車→ [石井警察署] → <<歩き遍路を中断して帰宅>><BR>

* 歩いた距離:11,6km = (Σ 99.8km)

* 歩数:24,000歩

* 宿泊:『自宅』(愛知県小牧)


6時半に[植村旅館]を出発し、[鮎喰川]に沿って約3,5km東に行くと [行者野橋]に到着 雲り空で気温も高くないので精一杯歩いても汗をかかなくて済むのでありがたい

この橋を渡ると北に向かって進む広い道が続いている

帰りにはこの道の途中川の手前で東に進むと [大日寺]へ近道で行ける橋が新しく出来たと教えて貰ったがその曲がり口も見つけて行かなくてはならない

広い道を歩いて行くと真っ正面に新しい装いの [新童学寺トンネル] の文字が大きな口を広げて出迎えてくれていたのです

途中、適当なお店か民家を見つけて [童学寺]を打ち終わって帰って来るまでリュックを預かって貰おうと今朝宿を出るときから荷物の詰め替えもしてその準備をして来たのです

道の左右を探しながら歩いて来たがついに見つける事ができないままトンネル入り口に着いてしまったのです

トンネル入り口近くでどこか安心してリュックを置いて行けそうな隠し場所はないかと辺りを見回しても雨上がりで水溜まりが多くリュックを濡らして仕舞いそうな場所ばかりです

見るとこのトンネルは新しく、照明も明るく照らしており、車は高速で走り抜けてしまい、歩いて行くのは自分以外誰もいないのです

通り過ぎる車がリュックを見つけても到底持ち去る事は不可能だから十分安心だと思われ 商店に預けて行った場合のようにお世辞や過分のお礼を云わなくても済むので気楽なので トンネル入り口近くの歩道に残して行こうと決めたのです

歩行中リュックの背中に付けていた [歩き遍路中です] と書いた黄色の反射板を車から見え易いように道路側に向け、入り口から5m位入った歩道に置き納経帳などを入れたバッグを片手に [童学寺]に向かって意気揚々と歩き始めたのです (07:30)

約2km離れた童学寺で予定通り参拝を済ませ、納経を終わり、数珠玉を購入して同じ道を引き返し予定どおりトンネルに戻りついたのです

明るく照明されたトンネルを通って先ほどリュックを置いていった出口まで来てみるとその場所には何もないのです 辺りを広く反対側の車道までも見わたしてもリュックらしい物は影も形も無いのです

煌々とした照明の中で、かつ衆目の面前にあるこのトンネルにリュックを置いて行くことは ショウ・ウィンドウの中に高価な商品を安心して陳列しているのと同じくらいに安全だと信じ、何の疑念も抱かなかったのです   (後から思うと今の世相を知らない本当に馬鹿な行為でした)


 「そんな筈はない。」

高鳴りそうな胸を抑さえ更に広く周囲を見回わしてみても、またトンネルの外の方を見回してもリュックらしい物は何処にも見つける事はできなかったのです

 「もしかしたら 本当に盗んで行かれたのだろうか。」

少しずつ疑う気持ちが高まり、そして疑いの気持ちは次第に現実へと変わって行ったのです

 「リュックが本当に無くなってしまったら、これから俺は一体どうすりゃぁいいんだ」

 「まず 警察に通報するしか方法がない」  でも俺は携帯電話をもってない

 「連絡はどうして取ればいいんだろう」

次々と不安が募ってくるばかりで、いずれは独りで判断し決断して解決するしか方法はないのです   全ては自分独りで蒔いた種ですから

もしかして何かよい連絡手段があるかもしれないと思いながらトンネル壁に付けられた [非常連絡用の電話箱]を開けてみようと取っ手を引いてみたのです 固着して取っ手も蓋もびくともしないしないのです もう一度壁に足をついて力いっぱい引いてみたら錆び付いた蓋がきしんで開いてくれたのです これが死に場の バカぢから と云うやつでしょうか

中には2つしかダイヤル穴のない黒の電話器があり、「警察」と書かれた右の方の穴を少し不安な気持ちで回してみた トンネルの騒音の中で呼び鈴が鳴ってるのが聞こえ、間もなく男性の声で

 「事故ですか、事件ですか」

と聞いてくれた   ありがたい   やっと藁だけは掴む事ができたのだ

事件の概要を話して助けをお願いすると、快く応じてくれ約20分くらいすると石井警察署員だと云って私服の青年が白い自家用車でトンネルの中を抜けて来てくれたのです

現場の状況を見回しながら大まかな話を聞いてくれてから、彼の車に乗せられ警察署に連れて行ってくれました

残念ながらこれで歩き遍路は途中で遮断されてしまう事が現実になってしまったのです

[石井警察署]の1階の部屋は日曜日だったのに5〜6人の人がいて、早速 [取調室]に通され順を追って状況を聞かれ逐一書類に書き留められていったのです   最後にそこに署名させられて調べは終わりました

その頃になると身体が冷えてきて兎に角寒くてたまらないのです

盗られたリュックには [郵便貯金カード]、[健康保険証]、[(緊急用の) 現金8万円)]、[新品のテレカ 5枚 (\5,000)]、[着替え]、[大山寺の数珠玉]、[薬]、[登山用ステッキ(LEKI)] そして石手寺にお返しするはずの長男の第2子の[安産祈願の石]などが入っており それら全てが自分の手元から消えてしまったのです

手元に残ったのはポケットに携行していた紐付き布袋の[財布](約1万5千円入り)と[万歩計]、そして[別格寺用の納経帳]、[当日使用予定の納札]、今朝買ったばかりの[童学寺の数珠玉]、線香などの[参拝道具]と[汗ふきタオル]など、そして [手提げバッグ]だけになったのです

衣類は着用していた物だけで上半身は半袖のTシャツに中袖の白衣の2枚に野球帽、そして下はウオーキング用のズボンに靴下とスニーカーの軽装だったのです
今日のへんろ歩きに適した軽い服装で歩いていたので今となっては過度の薄着で寒さが募ってくるばかりです

朝から10km余り歩いて大分汗をかいていたのでそれが冷えてきて兎に角寒くてたまらないのです

署員に早く帰宅をするようにと促されるが、何か帰りたくない後ろ髪を引かれる気持ちがあるのです

警察で電話を借りて自宅に事件の概要を伝え、所持金も少ないので出来たら車で迎えに来て欲しい旨を控えめに頼んだのです

当日は日曜日で、運良く息子たちも在宅しており、早速迎えに来てくれるように話を進めてくれたのです

トンネルまで最初に来てくれた署員が自家用車で [JR石井駅]まで送ってくれました ひとまず [徳島駅]まで出てからこれからの事を考えることにしたのです

徳島行きの切符を買って(\260)待合室で待っていると街まで買い物に出かける処だと云う2人連れのご婦人が

 「お遍路さん どうしました?」

と聞かれる
季節に不相応な中袖の白衣姿の薄着で寒さに震えていたからです

今朝、近くの[新童学寺トンネル]でリュックを盗まれ荷物を全部無くしてしまい、歩き遍路が続けられなくなったのでこれから名古屋に帰るつもりだと応えると
1人のご婦人が

 「何という罰当たりなことをするんでしょうね。
  おへんろさんの大事な物を盗むなんて、
  きっとその男にはお大師さんがオオバチを与えられますよ。

  おヘンロさんにはきっと何かご利益がありますよ。 かならず。
  気を落とさないできっときっとまた四国に来て下さいね。」


と云って私を慰めてくれるのです   その気遣いに勇気づけられ、お礼を云って別れました

車内は暖房が効いていて温かくやっと生き返れた気分になれました

徳島駅に着いて先ず寒さ対策に近くの [ユニクロ] に行って安い長袖の上着を購入して(\1,980)その場で一番上に重ね着し、今度は空腹を満たすために 「ロッテリア] に入って軽食を買って(\360)を食べ、外と内から少しずつでも寒さを防ぐことに努めたのです

自宅に電話すると留守番をしていた一皓君が出て、

 「お父さんとお母さんと陸人の3人で11時ごろ徳島に向かって出発した。」

 「徳島への移動中にリュックが見つかり、爺がそのままヘンロを続けられるという連絡が入ったら、
  途中からでも名古屋に引き返す積もりで、急いで車で出発して行った。」

と教えてくれる   留守家族の機転の効いた早い決断と行動がなにより嬉しかった

本来なら今日は [井戸寺]を打って徳島駅近くの [サンシャインホテル](Tel:088-622-2333) に宿泊する予定だったのに こんな事件に巻き込まれ急遽帰らなければならなくなった事がなかなか現実と結びつかない   でもこれは事実なのだ

[サンシャインホテル]のフロントを訪ねて状況を話し、今夜の宿泊をキャンセルして貰い、迎えの車が来るまで休息したいので部屋を貸して欲しいと頼んでみた
フロントの女性が電話で連絡をとり暫くすると、準備ができたと云って451号室のキーを貸してくれた

早速移動中の車に電話して自分の所在と電話番号を伝えると17時頃には到着できそうだと返事をくれる
これでやっと我が家に帰れることになり安堵の気持ちになれる

早速バスタブにお湯を入れて入浴して身体を温め、ベッドに入って横になるといつの間にか眠り込んでしまった

電話の音で目を覚ますとフロントからの連絡で迎えの車が到着したと知らせてくれる 時間は16時過ぎで、2時間ちかく眠れたようで疲れも寒さも回復していつものような元気を回復していた

迎えの3人が部屋に来てくれ、「よく迎えに来てくれた」とお礼を言いながら出発の準備を急ぐ フロントでチェックアウトを済ませ(\4,260)、早々に車に乗り込んで出発する   積み込む荷物が無いのが何とも淋しい

途中、ガソリンを補充し、サ−ビスエリアで軽食を取ってそれらの支払いをしたら残りの所持金は底をつき、その後の高速料金などは子供らに払って貰わなければならなかった

関ヶ原あたりは強い風が吹いていたが車は順調に走り、無事21時に我が家に帰り着くことができたのです

明日は月曜日で2人の孫達も学校があるので話もそこそこに切り上げて家族4人が一緒に自宅に帰って行った

今日の事件の概要を説明しながら入浴を済ませ、冷たいビールで軽い食事をして早々にベッドに入る

今日は自分の不注意から多くの人に迷惑をかけることになり、予想もできないような大騒動を引き起こしてしまい一生忘れられない長い1日になってしまった



「 別格霊場2番 童学寺 仁王門 」
(2006年3月12日 : 08:19)
「 童学寺 参拝を終えての帰途 」
(2006年3月12日 : 08:28)



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☆ 『 再出発の 準備

今回の事件は全てが自分の不注意で発生した事だから、再び四国に出かけてこの続きを実現する為には多くの障害が予想されました もうこんな浪費は許してもらえないだろう   再び続きを歩く事は無理だろうと半ば諦めの覚悟でいたのです

だから急いで準備を整え再出発したいとは自分の方からとても言い出せない雰囲気だったのです

ところが後で聞いた話では「とても本人が断念するはずがない」と踏んでいたらしく、カードの無効申請と再発行、そして保険証の再交付、リュックや衣類などの調達などいろいろな準備を始める事を勧めてくれ、既に再出発を公認して呉れていたのです

うれしさいっぱい  早速準備に取りかかり、カレンダーを見て日柄など考えて再出発日の選定に取りかかりました 再出発するには出来るだけ早い方がよい

[健康保険証]は帰宅翌日の13日に市役所で再交付して貰ったので準備完了 [郵便貯金キャッシュカード] の入手日数は最大で10日位なので 3/22 には間違いなく入手できる筈だと局で教えてくれたのです 予定どおり入手できると仮定して再出発を 3/25のバス に決めて早速準備に取りかかました

インターネットでバスの予約状況を調べてみると10日前なので余席がまだまだたくさん売れ残っていると聞き安心です

前回の出発が 3/8 になったのは歩きの初日を優先して大安の 3/9 に選定した結果、出発日の 3/8 が仏滅の日になったのです

仏滅は避けたいと再出発日の選定について出発はその日の深夜だから先負(午前は凶、午後は吉)の[3/25]に決めたのです 歩き始める 3/26は中断した 3/12と同じ日曜日で歩きの続きだから日柄は特に配慮する必要はないと考えたのです

今の熱気が冷めないうちに1日でも早く四国にとんぼ返りして直ぐに続きを歩きたかったのです

3/22 の午後、予想通り郵便貯金のカードが届いたので近くの [ピアーレ] 内にある [名鉄観光] に電話して 3/25 の切符の事を聞くと、もう最後の1枚しか残っていないと知らされ、これは一大事と直ぐに現金を持って行くからその1枚を抑えておいて欲しいとお願いして、大急ぎで店に駆け込み、無事に最後のその1枚を手に入れる事ができたのです (8-C席 \6,600)

これで 3日後の 3/25 深夜 23時に名古屋を出発して徳島に向かい、別格を含めた108寺の通し歩き遍路の続きに再挑戦できる全ての準備が整ったのです これで先ずは一安心です

3/12 の事件で歩き遍路を中断したのは [新童学寺トンネル] でその位置から 13番の[大日寺]までの距離は 約5.0km だったのです   従って

  * 3/26 の歩き始めは 13番 [大日寺] までの距離が 約5.5km 離れた JR徳島線 (よしの川ブルーライン) の[国府駅 (別名:府中駅)] から
   スタートすることにし、四国の週間予報などを参考にして早速細部の歩き計画を立案し、宿の予約にとりかかりました

  * 3/27 は [立江寺] から [金子や] を経由し別格の [慈眼寺] を往復して [金子や] に帰ってくる
   約30km のコースで、途中宿に荷物を置かせて貰い軽装で往復する

と云う概略の計画を立て、それぞれの宿に予約の電話をすると両方とも快諾を得たのです

これで再出発の準備はすべて整った訳です

そして計画どおり 3/25 の深夜バスで四国に向けて出発したのです


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☆ 『 再 出 発

H18/3/25 (土 移動日) 晴れ

* 行程:[自宅] →車→ [JR春日井駅] →JR→ [JR名古屋駅] →高速バス→ [JR徳島駅]


21:30 孫の一皓君、陸人君を乗せて今夜も忠泰君が自宅まで迎えに来て、[JR春日井駅] まで送ってくれる

 「今度はリュックを盗られたらダメだよ」

 「大事な物は身体から離してはダメだよ  ヂヂはもう年なんだから」

2人の孫たちがしきりに注意をしてくれるが今回ばかりは一言の反論もできない    素直に「気をつけます」と返事をするしかない

[春日井駅]で孫たちと別れ、名古屋行きの切符を買って(\230)ホームに出る 服装は前回と同じ軽装だが今夜は寒さが和らいで列車を待つホームでも寒さを感じない

22時発の電車で [名古屋駅]に向かう

高速バスの乗り場で暫く待っていると松山行きの [オリーブ松山号] が前回と同じ8番スポットに入ってきた 2人の乗務員が順番にお客の切符を確認しては座席の場所を告げては乗り込ませる

バスは先日と同じタイプなので座席の配置は大体見当がつく 薄暗い階段を上ってみると 8-C の席は階段を上ったすぐの処で、左右に席がなく独立した座席なので何か得をしたようでうれしくなった リュックを左前の隙間に置いて、紙スリッパに履き替え、眠りの態勢にはいる

定刻の23時にバスは動きだし、間もなく車内の明かりは消された



「 発車前のオリーブ松山号 」
(2006年3月25日 : 22:54)



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☆ 『 再開初日の 歩き

H18/3/26 (日 歩き遍路 4日目続き) 曇りから晴れ

* 行程:[徳島駅](05:45) →JR→ [JR国府駅] ⇒ [13番 大日寺](07:00) ⇒ [14番 常楽寺](07:40) ⇒ [15番 国分寺](08:05) ⇒ [16番 観音寺](08:40) ⇒ [17番 井戸寺](09:25) ⇒ [地蔵院](10:50) ⇒ [18番 恩山寺](14:15) ⇒ [お京塚](15:20) ⇒ [19番 立江寺](宿坊)(15:35)

* 歩いた距離:35,5km = (Σ 135.3km)

* 歩数:57,000歩

* 宿泊:「立江寺宿坊」(徳島県小松島)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分、浴衣貸し出し=\250


バスは5時丁度に[徳島駅]前に到着   男女5人の乗客と一緒に降車

待合室へ入ろうとすると自動ドアはロックされていて開かない   内部も照明がうす暗いままだ

先日はバスを降りて直ぐに中に入って着替えができたのに今日はなぜロックされているのだろうか   みんなが不平をこぼしてる

20分くらい外で待っていると駅員らしい人が建物の中から顔を出し開けて行ってくれた   待ちくたびれた人たちが急ぎ足で中に入っていく

今日は [13番大日寺]から参拝をはじめる計画で、先日の 3/12の事件で中断した [新童学寺トンネ]から大日寺までの距離と同じくらいになる [JR国府駅]まで電車で行き、そこから歩き始めることにした

徳島線のJR国府駅方面に行く1番列車は 05:45に徳島駅を始発する   発車までもうすぐだ

急いで切符を買って(\210) 改札を通ると 駅員が1番ホームの西端に停まっている車両だと教えてくれる 100m先くらい先に停まっている列車に急ぐ 曇り空ながら東の空が大分明るくなってきた

発車間際になって高校生らしい女の子が 4〜5人ぞろぞろと乗ってきて列車は間もなく動き出した

降車する駅の正しい名前は 「府中(フチュウ)駅」なのか 「国府(コウ)駅」なのか 両方が混在して遣われているようで判然としないまま、そして誰にも聞けないまま降りてしまった

名古屋にもJR中央線の [鶴舞駅] を [ツルマイ駅] と呼び、同じ処の [鶴舞公園] を [ツルマ公園] と読んでおり 2つの名前が使われているので余りくどく考えないことにした


列車は予定どおり 05:57に [府中駅]に到着した

[府中駅] から [大日寺] 近くまでの道は事前に準備してきた地図を頼りに、そして [大日寺]近くの込み入ったうら道は4年前の記憶をたどりながら 歩き遍路旅4日目の続きの第一歩を踏み出したのです

[井戸寺] から [恩山寺] への道のりは長く毎回苦しみながら歩いた区間だが、今回は [一宮寺]から南方にある [地蔵院]の前を経由するコースを通って、[地蔵坂へんろ道]を上ってみることにした

山の中を上って行くこのへんろ道には小さな渓流があり、その流れのあちこちに小さなオモチャの水車が置かれておりそれが「カタン・コトン」 と小さく静かな音で迎えてくれ、汗を流して上るお遍路さんの疲れを癒してくれるのです

[立江寺]の手前にある [お京塚]の前を通るとき、これまでは両足の破れたマメやボコボコに腫れた足の痛みで、もう一歩も歩けなくなって座り込んだあの日の事が思い出される
ところが今回はいつの間にかそこを通り過ぎてしまっていたのです   勿論足の痛さなど何処にも感じないままに

3/12、[JR石井駅]の待合室でおばあさんが落ち込んでる自分に慰めて言ってくれたあの言葉

  「 * * * おヘンロさんにはきっと何かご利益がありますよ。

     かならず。

     気を落とさないできっときっとまた四国に来て下さいね。」

を思い出す

あのおばあさんが弘法大師になり替わって自分を見守って呉れているのだろうかと思ってしまうのです

どうしても普通では理解できない不思議さがあったのです


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「 霊場13番 大日寺 仁王門 」
(2006年3月26日 : 07:02)
「 霊場14番 常楽寺 入り口 」
(2006年3月26日 : 07:44)
「 霊場14番 常楽寺 山門(石柱)門 」
(2006年3月26日 : 07:45)
   

「 霊場15番 国分寺 山門 」
(2006年3月26日 : 08:06)
「 霊場16番 観音寺 山門 」
(2006年3月26日 : 08:43)
「 霊場17番 井戸寺 仁王門 」
(2006年3月26日 : 09:29)
   

「 真言宗別格本山 地蔵院 」
(2006年3月26日 : 10:50)
「 霊場18番 恩山寺 仁王門 」
(2006年3月26日 : 14:18)
「 お 京 塚 」
(2006年3月26日 : 15:23)
   

「 霊場19番 立江寺 仁王門 」
(2006年3月26日 : 15:36)
「 立江寺 ライトアップされた多宝塔 」
(2006年3月26日 : 19:27)
   


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☆ 『 へんろ道の 案内

H18/3/27 (月 歩き遍路 5日目) 晴れ

* 行程:[立江寺宿坊](06:15) ⇒ (民宿金子や)(08:20) ⇒ [別格3番 慈眼寺(H510m)](11:50) ⇒ [民宿金子や](15:10)

* 歩いた距離:30,1km = (Σ 165.4km)

* 歩数:53,000歩

* 宿泊:「民宿金子や」(徳島県勝浦)(\6,000)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100(当日は器機の作動が不良で乾燥できず、部屋の暖房作動不良でした)


宿坊を出て真っ直ぐ暫く歩いて振りかえるとお寺の奥さんが玄関に立って小さく腰をかがめ手を振って私を見送っていて下さったのです 立ち止まってまっすぐ振り返って帽子をぬいで頭を下げてお礼を云う 偶然にしろこんな丁寧な見送りをして下さっていたことに感謝の気持ちを表して深くお辞儀をして、また歩き始める


  そうだ。

  今日は43回目の結婚記念日だった。  忘れていた。  思い出して良かった。

  2人にとって今日は大切な1里塚だ

  そして 今回の歩き遍路 にとっても大切な1日だ

  記念日を楽しく、元気に、そして無事に歩いて行こう。




[慈眼寺]への道は [金子や]を左に出て R-14 を進み [新坂本トンネル(L640m)](10:10) を通り抜けてすぐに右に曲がって山の中を約5km進むのです
この 「新坂本トンネル」 は 3/12 にリュックを盗まれた [新童学寺トンネル] にそっくりのトンネルでした

[慈眼寺]までのへんろ道は連続した上りで [大山寺]への道よりももっときつい坂道です

[慈眼寺] 前の駐車場に私の出生地である 山口県宇部市の市営バス が停まっているのを見つけたのです こんな山奥で予期しない 故郷に出会い、懐かしさで思わず近寄って「同郷人です」と挨拶をしてきたのです バスに乗ってたお客さんもビックリした様子でガンバレと励ましの声をかけてくれました

[慈眼寺]には山門がなく2本の石柱が立ってるだけで、こぢんまりした質素とも云える小さなお寺です

納経所ではお寺のお嬢さんか若奥さんだと思われる方から納経を終わると予期していないお接待(ジュース代\160 と まんじゅう2個) を頂きました 前の歩きへんろの時には[27番神峯寺]の奥さんから歩き遍路さんには全員にコーヒーとお菓子のお接待を頂きましたがその時以来の札所でのお接待でした 有り難うございました

楽しみにしていた [穴禅定]は団体客の予約でいっぱいになっており、14時以降でないと順番が来ないと云われ残念ながら諦めて引きあげることにしたのです

帰り道は宿舎までずーっと下り坂で、楽な歩きになりました 途中、店に立ち寄って明日の昼食用のパンを買って行き、それでも宿に少し早く着いて部屋に入れてもらえず入り口で 15:30まで待たされたのです

洗濯してから使った乾燥機の調子が2台とも悪く、主人に看て貰ったが修復できず、結局部屋に紐を張って乾かす羽目になりました

部屋の暖房も夜中に正常に作動しなくなり寒さで熟睡できないまま朝になってしまったのです(施設の老化でしょう)


  * 今日、徳島で「桜開花宣言」


「 新坂本トンネル 」
(2006年3月27日 : 10:10)
「 別格3番慈眼寺はもっと上です 」
(2006年3月27日 : 11:03)
「 初めて出逢った慈眼寺へのへんろ案内 」
(2006年3月27日 : 11:19)
   

「 駐車場に宇部市営バス 」
(2006年3月27日 : 11:49)
「 別格3番慈眼寺 山門(石柱) 」
(2006年3月27日 : 11:55)
「 別格3番慈眼寺 本堂と納経所 」
(2006年3月27日 : 12:11)
   

「 別格3番慈眼寺 大師堂 」
(2006年3月27日 : 12:15)
「 別格3番慈眼寺 境内 」
(2006年3月27日 : 12:20)
「 潅頂瀧 への案内 」
(2006年3月27日 : 12:40)
   


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☆ 『 天 気 予 報

H18/3/28 (火 歩き遍路 6日目) 不安定な天気

* 行程:[民宿金子や](07:10) ⇒ [20番 鶴林寺(H500m)](08:15) ⇒ [21番 太龍寺(H490m)](10:55) ⇒ [民宿龍山荘](12:40)

* 歩いた距離:13,4km = (Σ 178.8km)

* 歩数:23,000歩

* 宿泊:「民宿龍山荘」(徳島県阿南)(\6,000)
   △洗濯機=\100、乾燥機=\100/30分、サービス=良


朝、目を覚ました時には水溜まりができるくらいの強い雨が降っていたのに、出発する頃には晴れ間がでてきて [鶴林寺]への道は順調に上って行けたのです

[金子や]の玄関を左に出て間もなくへんろ案内がありそれに従って左の細い道を入って行くと、階段の多いきつい坂道が続いており迷うことなく[鶴林寺]に到着できました(08:20)


[鶴林寺]から下りきった処(H140m)で草取りをしてた家の奥さんに [太龍寺]の位置を聞くと

 「遠くに見えるあの2つの山の間に挟まれて、もう一つその遠くに見える山のてっぺんが [太龍寺]ですよ」

と教えてくれる

地図をみるとおよそ 5kmばかり離れたお寺がこんなにも遠くに見えるのかと感心しながら、

 「あんなに遠く見える山でもこれから一歩一歩と上って行くと1時間ばかり後にはあそこに到達できている自分」

を想像しながら、どんなに少しでも積み重ねていく努力が大きな成果につなげる事ができるのだと

   『人生 即 遍路』

のことばを教訓として改めて味わいながら、またテクテクと歩きつづけました

[太龍寺]への上り道の途中で (多分9時半頃でした) 急に強い雨が降り出し、きつい階段の続くへんろ道を傘を差しながら約1時間以上も上り続けます

その途中で前方を歩く男性のお遍路さんを見つけ、やっと追いついて並んで歩きながら初対面の挨拶をし、話しかけてみるとこの方は宝塚から来られ今回は2度目の区切り打ちだと云われる  納札を出して 「私は名古屋からです」 と云って自己紹介をする

その方は定年まで [名工大] で建築設計を教えていたと云う経歴の [福地さん(67歳)] と云う方でした

いま世間を騒がしている姉歯元設計士の偽造に関連した話など興味深い話を次々と聞かせてもらい途中の険しい上りも疲れを感じないまま [太龍寺]まで上って行く事ができました

長い急な坂道を登り切った山頂に [太龍寺]は在り、実に壮大な寺院です(11:10)

[太龍寺]からの下り道はコンクリートのなだらかな坂道でけっこう歩き易い道でした

宿の [龍山荘]には早すぎる 12:40 に到着してしまったのです

午後には強い雷雨が予報されていて、遠くの山の頂にはこのとき既に大きな雷雲が湧き起こっておりもうすぐ大雨が降り出すのは間違いない空模様になっていたので宿の奥さんも早く早くとせき立て快く部屋に入れて下さったのです

早速洗濯を済ませ、部屋で資料を整理しているとガラス越しに 「ドドーン」と大きな雷鳴がとどろき、急に外が暗くなって雨粒が屋根を打つ音が聞こえてきたのです 昨日から予想されていた通りものすごい雷雨でした 今頃 [太龍寺]から下ってくるへんろ道を歩いている人は大変な事になっているだろうと他人事ながら心配になる

16時になると「お風呂が湧きましたのでどうぞ」と奥さんの大きな呼び声 浴場に案内され、気持ち良く一番風呂に入れて貰う

その頃も泊りのお遍路さんが次々と玄関に到着し、出迎えの奥さんに雷雨に打たれた様子などを話しながら靴を脱いでいるのです

今日参拝した [鶴林寺] と [太龍寺] の2つお寺は、[焼山寺]、[白峰時] と並んでお遍路さんにとって格別厳しいお寺で、今日のように天候の急変に遭うと尚更です
これまで何時もこのコースを歩きながら、[龍山荘]の前を素通りして一度も泊まったことがなかったのです 今回は特に不安定な天候が予報されていたので歩く距離を短く計画し、ゆっくり歩いて泊まっていこうと考えたのです

午後の雷雨予報を見込んで近い距離に宿を取って出発したのは結果として正解でした お陰で山中で雷雨に襲撃される事もなくて好天の内に歩く事ができ、服や靴を濡らすことも無く宿に到着できたのが幸でした

夕食の時、食堂に集まったお遍路さんたちの話は途中で強烈な雷雨に襲われ上から下までびしょ濡れになって宿にたどり着いたと云う話でもちきりだったのです そのころ独り私は温かい部屋で資料を整理しながら雨音だけを聞いていた果報者だったのです



「 霊場20番 鶴林寺 仁王門 」
(2006年3月9日 : 08:19)
「 霊場21番 太龍寺 山門 」
(2006年3月9日 : 10:59)
「 霊場21番 太龍寺 仁王門 」
(2006年3月9日 : 11:07)
   


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☆ 『 ご 利 益 か

H18/3/29 (水 歩き遍路 7日目) 晴天で寒い(Max10℃)

* 行程:[民宿龍山荘](06:30) ⇒ [22番 平等寺](08:05) ⇒ [月夜御水庵] ⇒ [弥谷観音] ⇒ [23番 薬王寺](14:50) ⇒ [薬師会館](15:50)

* 歩いた距離:34,9km = (Σ 213.7km)

* 歩数:48,000歩

* 宿泊:「薬王寺参籠薬師会館」(徳島県海部)(\6,500)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100/30分


[龍山荘]から [平等寺]へ通ずる [大根峠(H288m)]のへんろ道は昨日歩いた [太龍寺(H490m)]へ上る道とよく似た階段の多いへんろ道で印象に残る道でした

その [大根峠]の行く上り坂で [沢田さん(67歳)]と云う東京から来た個人タクシーの運転手さんと初めて逢い、これから暫く間、彼と一緒に連れだったり 別々になったりして歩くことになったのです 彼も私と同じ3回目の通し歩きだそうで体躯がよく歩きが速いのです

[月夜御水庵]、[弥谷観音]を過ぎ 由岐分岐に差しかかる時、かれの提案で距離は少し(6km余り)延びるが天気も良いので海岸に出るルートを歩いてみようと云う事になり、初めて [海岸コース]を歩いてみたのです 彼は前回もこの海沿いの道を歩いたと云っていました

魚港近くのスーパーで昼食用にむすびやパン、そして果物など適当に買い込み、陽当たりのよい前方に海が広がった岸壁に腰を下ろしキラキラと輝く波の面を見ながらピクニック気分で食事を楽しんでいきました お腹がいっぱいになると体力も気力も回復し、[薬王寺]を目指して2人でまた歩き始めました

このコース(R-25)は [薬王寺]に着くまでに4つの峠があり、上っては下り、下ってはまた上りを 4回も繰り返すが変化に富んだ道で、これまでの歩いた [国道55号線コース]より距離も長く、上り下りもあってロードは大きいが自然の変化に富み、眺めを楽しみながら歩けたので55号を歩いた時に比べて疲れは少ないかった感じです

今日までの歩きで足が痛くて歩けなくなった事は一度もなく、順調にと云うよりも快調に歩いて来ることができました

今日までに左右3本ずつ足の指の爪 (左足は第1、2、4指と 右足は第2、3、4指) が充血しておりいずれ剥がれてしまう状態になってはいるがそれほど痛みはなく、今では風呂上がりに爪の下にアカチンを流し込むだけの処置で済ませているのです

これも 3/12 [今井駅] の待合室でおばあさんがかけて下さったあの慰めのことば

 「 ****きっと何かご利益がありますよ***」

を思いだし、おばあさんから授かったお大師さまのご利益だろうとあらためて感謝しながらそして明日からもまた元気に歩いて行けそうです

道にも迷わず 15時少し前に[薬王寺]に到着 まず山門の写真を撮り、帽子を脱いで礼拝し4年振りの石段を懐かしく上って行く

踊り場に 「紀州接待講」と書かれたテントが張られ、10人くらいの人がお接待をしておられたのでちょっと立ち寄って今日までの歩き遍路の様子など聞かれるままにしばらく立ち話をして、帰り道でお接待を頂きますと約束して本堂に向かって石段を上って行きました

男坂、女坂の石段にはその左右にたくさんの1円玉が厄よけのお参りに置かれており、踏みつけないように気遣いながら一つずつ上って行き、本堂と大師堂にお参りする
帰りに[接待講]の前を通ると講の人から約束のお接待をいただきありがたくお礼を云って仁王門を後にしました

宿泊の[薬師会館]は4年前の時と同じように観光バスやタクシー、自家用車利用の団体客が多く、歩きのお遍路は僅か5人だけで同じテーブルを囲み一緒に夕食を食べました



「 霊場22番 平等寺 仁王門 」
(2006年3月29日 : 08:05)
「 霊場23番 薬王寺 仁王門 」
(2006年3月29日 : 14:53)
   


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☆ 『 波 供 養

H18/3/30 (木 歩き遍路 8日目) 風がやや強く晴れ

* 行程:[薬師会館](07:00) ⇒ [小松大師] ⇒ [八坂トンネル](10:35) ⇒ [草鞋大師] ⇒ [波供養](10:50) ⇒ [内妻トンネル](11:00) ⇒ [別格4番 鯖大師本坊(八坂寺)](11:25) ⇒ [遊遊NASA](13:50)

* 歩いた距離:30,1km = (Σ 243.8km)

* 歩数:44,000歩

* 宿泊:「遊遊NASA」(徳島県海部)(\7,350)
   △洗濯機=\200、乾燥機=\100


夜、数回のトイレ通いにも拘わらず眠りは足りて 04:50 に起床、テーピングなど歩き支度を済ませ、06時からのお勤めに参加するため本堂に向かいました 今日も空は晴れていて朝の海風が肌に清々しい 宿泊者にあまり周知されていなかったようで今朝のお勤めに参加したお遍路さんはたったの8人でちょっと淋しいお勤めでした

終わっての帰りに直接食堂に立ち寄って6時半からの朝食を頂き、7時に宿を出発する事ができました

今日からは国道55号線を一路室戸を目指して歩く そしていよいよ明日からは 「修行の土佐」 が待ちかまえているのです

途中、道の左側にある [牟岐警察署]の横に地元の有志の皆さんがテント造りのお接待所を設置して、前を通り過ぎる歩き遍路さんを手招きして呼びこみ手厚いお接待して下さるのです

手招きされて私も国道を横切り、テントのお接待所に行って挨拶をしながら椅子を借りて腰かけ、心づくしのお接待を頂きながら、前回、前々回の時にも同じこの場所で温かいお接待を受けて元気になって室戸に歩いて行くことができた体験などを話題に暫く歓談し、用意されていたノートに感謝の気持ちを記帳させて貰い、そしてお礼の気持ちを納札に託してコーヒーを入れて下さった奥さんに手渡してきました

その時の甘いコーヒーとお菓子は疲れてた身体が一番要求していたものでお陰ですっかり元気に取り戻し活き返えらせてもらえたのです

テントには先客の中年夫婦のお遍路さんが長椅子に腰掛けて一緒に休んでおられましたが、自分たちはもう少し休んでからと云われるのでお先にと言ってリュックを背負い地元の人たちにお礼の挨拶して出発する

「牟岐警察署」を出て間もなくR-55の左手にきれいな砂浜が太陽に照らされて遠くまで延びているのが見えたのです そして砂浜には人影が見あたらず静かな様子です

ここで念願の「波供養」をして行こうと思い立ったのです

地図を見ると別格4番の [鯖大師]のすぐ手前にある [内妻海岸]と云う海岸で、4年前にはここから 12kmくらい先に行った [宍喰海岸]で最初の「波供養」をした経験があります

防波堤の切れ間の石段から砂浜に下り、砂面が一段ときれいな場所を探してそこにリュックを降ろし 波に流されてきた木片を拾って太平洋を背にして砂の上に大きく分かりやすい楷書文字で 亡父母の戒名と 亡き叔父と叔母の俗名を書き記しました


  『 閔堅院釋晃照不退居士 』

  『 妙相院釋尼芳照大姉 』

  『 柘植五市殿 』

  『 柘植タケ殿 』


と4人の 戒名、俗名 を刻書してから

   「 親父。  お袋。  叔父さん。  叔母さん。 」

   「 有り難うございました。

     お陰で 私も古希を迎える歳になりました。 この通り元気です。 」


   「 親父。 お袋。  叔父さん。 叔母さん。 」

   「 みなさんと お話がしたくて また四国を歩きにきました

     あなたたちから戴いたご恩のお陰でこんなに快調に歩き続ける事ができます

     最後の結願まで頑張って歩きますのでどうか無事を見守って下さい。

     有り難うございました。」


と誰も居ない砂浜で声を出してお祈りをし、暫く合掌して立ちつくしていました


別格4番の [鯖大師]では本堂と大師堂にお参りした後、納経所で納経(\300)をしてもらい、[鯖大師]の数珠玉(\300)と、今年は [鯖大師]さんが当番寺だそうで中心玉と二天五玉と紐をここで入手しました (\500)

数珠玉をリュックに仕舞っていると和尚さんが納経台越しにジュースを差し出しどうぞとお接待して下さったのです

今夜の宿に決めた [遊遊NASA]は国道を逸れて建物に着くまでの上り坂を歩きながら、6年前の時もここに入浴に来たがその時は福野君の車で送って貰い、一気に上って行った事を思い出しながらこんなに長かったのかと回想しながら長い上りを疲れた足取りでてくてくと歩いて行きました

13:50 フロントで料金前払いで (\7,350)チェックインし、211号室の鍵を貰って部屋に行き装具をおろして一休みする

入浴と洗濯を終わらせると今日のやるべき事が終わったようで気分がさっぱりする

昨日一報しておいた海南町の福野君が夕方宿を訪ねてくれた 彼は車で来ているので一緒にビールを飲むこともできない 彼と一緒に風呂に入り、お互いに無事古希を迎え、健康に過ごしている事を確認しながら暫く歓談して彼を玄関まで送り出し、海風に涼んでから部屋に戻る




「 内妻海岸で 波供養 」
(2006年3月30日 : 10:54)
「 別格霊場4番 鯖大師本坊 入り口石柱 」
(2006年3月30日 : 11:29)
「 鯖大師本坊 鐘楼 」
(2006年3月30日 : 11:49)
   

「 鯖大師本坊 本堂 」
(2006年3月30日 : 11:49)
「 鯖大師本坊 大師堂 」
(2006年3月30日 : 11:54)



  [SlideShow] をどうぞ
=スライドを観て下さい=










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