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( 平成20年07月18日 更新 )



世の中には 貴重な 経験に 基づいた 先人の言葉 や、

永い歴史が 残してくれた多くの 教訓や 諺(コトワザ)

処世訓として 面白く、そして有益な言葉 などがたくさんあります。


これまで先輩・友人から教わったもの、資料などから入手したものを

時にふれ 書き残しておいたものを次の9部に分類 して紹介します





[ 下はこのページ内にあります ]

 『 ★ 人 間 』   『 ★ 日 本 』   『 ★ 教 育



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 『 ★ 知 識 』   『 ★ 危 機 』   『 ★ 仕 事

 『 ★ 健 康 』   『 ★ 老 い 』   『 ★ 微 笑



各セクションに跳んで 楽しみながら,  ゆっくり,  ご覧下さい











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人 間







上記の 「 青春 」 の言葉は、二次大戦終戦後の1945年9月27日、昭和天皇が日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、初めて民間人と並んでツーショット写真を取られた時に、お二人の後ろの壁に掛っていた 詩 がこの青春の詩 (英語) であったのです。



マッカーサー元帥は、友人の John  W.Lewis 氏 ( コーネル大学教授 ) より贈られ、座右の銘として何時も執務室に飾っていました。 しかし作詩者のサミエル・ウルマン氏 は、当時は全く無名でアラバマ州の人だと言うこと以外は全く知られていませんでした。
この詩を、ある日本人 ( 岡田義夫氏 : 明治24年埼玉県生れ,元東京毛織のOB ) が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳し、これが後に 松下幸之助氏 の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事が紹介され、雑誌にも掲載され一躍有名になりました。
又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこの詩の一節を引用したのも有名な話です。
その後、色々な人が、サミエル・ウルマン氏について調べ、近年になってアラバマ州のバーニングハム市でウルマンが晩年を過ごした家がみつかり、彼の作成した他の詩も発見されました。
JASA (日本協会) が、1993年に日米親善事業の一環として、その家を買い取り「ウルマン記念館」として運営しており、この様な経過を経て日本で有名になった後にアメリカにお里帰りした心温まる話があります。



[原文]

YOUTH
Youth is not a time of life - it is a state of mind; it is a temper of the will, a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.
No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul.
Worry, doubt , self - distrust, fear and despair - these are the long , long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen,  there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

  you are yang as your faith, as old as doubt ;
  as young as your self - confidence, as old as your fear;
  as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.
When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.




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 「 青 春 」  ( 松下幸之助  H11.1.28 )


青春 とは 心の若さである

信念 希望 にあふれ 勇気 にみちて

日に新たな 活動 をつづけるかぎり

青春は 永遠にその人のもの である



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 「六 然」  (崔銑が王陽明に贈った言葉)

自処超然    自ら処すること超然 (ちょうぜん)     物事にとらわれず、

処人藹然    人に処すること藹然 (あいぜん)     人には和気あいあいと接し、

有事暫然    有事には暫然 (ざんぜん)         起こった事柄にはてきぱきと対応し、

無事澄然    無事には澄然 (ちょうぜん)        平安無事の時は心を澄ませ、

得意澹然    得意には澹然 (たんぜん)         得意の時は奢らず、淡々とし、

失意泰然    失意には泰然 (たいぜん)         失意の時は泰然(自若)としておれ。



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 「六 中 観」  (安岡正篤「百朝集」より)

忙中閑あり     忙しいからこそ 閑が存在する。 何もすることがなくての閑は 無内容な閑である。
            繁忙の中から得た時間こそが 本当の生きた時間ということである。

苦中楽あり     これについては 「プラス思考」 と言い換えたほうが理解しやすい。 苦楽をつくり出しているのは 「心」 に外ならない。
            苦中の楽こそが本当の楽で、 楽ばかりでは 退廃させるだけである。

死中活あり     一身を犠牲にする覚悟があって、初めて窮境を脱し、活路を見出すことができる。
            即ち、死ぬ気になって道を開こうと努力すれば、開けない道はないということである。

壺中天あり     人間はどんな境遇にあろうとも、自分だけの壷中の天を創りえる。
            私たちのまわりにも 「 えっ、このひとにこんな趣味があったの 」 とか、 「 こんな奥床しい芸を持っていたのか 」とか、
            驚かされることがある。 こうした自分の別天地を持っている人というのは、いかなる逆境にあろうとも、救われる人である。

意中人あり     出世して役職について、さて周囲を固めようと思ったが、自分の手足として動いてくれる人がいなかった ということでは、
            とうてい事はなしえないものである。 日頃から意中の人を射止めておくことが大事である。

腹中書あり     すぐれた頭脳の持ち主というのは、先人が残した文献を繙き、読みながら、実は先人が発している周波数を
            つかむことに長けた人で、このような人は 現実問題に対して、瞬時に先人の知恵に周波数を合わせ、
            解決策を見い出すことが なんなく出来るはずである。



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 『 心にのこる人生の言葉 』 

一番忙しい人間が、一番たくさんの時間をもつ。……(アレクサンドロ・ビネ)

その気になれ。 道はひとりでに開けてくる。……(ある高校教師の言葉)

挑戦なくして 成し遂げられた偉業は一つもない。……(高橋竜二)

機会を待て。 だが、けっして時を待つな。……(W・ミュラー)

明日にするな。 今日やって明日休め。……(輪島功一)

今日なし得ることに 全力を尽くせ。 しからば明日は一段の進歩あらん。……(ニュートン)

やってみな わからしまへんで。 やってみなはれ。……(鳥井信治郎)

今ならできる。 今しかできない。……(牛尾治朗)

善を学ぶは千日も足らず。 悪を学ぶは一日も余りあり。……(中国の俗諺)

経験は危険を教えてくれる 教師である。……(外山滋比古『生きる知恵』)

成功している人は、 みな途中であまり道を変えていない。……(松下幸之助)

失敗させることによって、 神は人を鍛える。……(西洋の諺)

焦ることはなんの役にも立たない。 後悔はなおさら役に立たない。……(ゲーテ)

感謝して今日を生きることが 明日への希望である。……(日野原重明)

疑いを持たない秀才より、 好奇心を持った劣等生になりなさい。……(塩野七生)

仕事にたいするときは上機嫌でやれ。 そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない。……(ワグナー)

倒されし竹はいつしか立ち直り、 倒せし雪はいつしか消えてなくなる。……(悠玄亭玉介)

共に喜ぶのは二倍の喜び、 共に苦しむのは半分の苦しみ。……(ドイツの諺)

外相整いて、 内相自ら熟す。……(吉田兼好『徒然草』)

失ったものを数え上げずに、持っているものを大切に思う。……(曾野綾子『近ごろ好きな言葉』)

知らないのは恥でない。 知ろうとしないのが恥である。……(沢柳政太郎『学習法』)

一日の計は朝に在り。 一年の計は春に在り。 一生の計は少壮の時に在り。……(安井息軒)



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 「追ってる人生」  渡辺惇一  (H15.8.14 TV番組で)

  エ・アロール(それがどうしたの)から

  目的を持って生きることは それが達成されなくても 追い続けることにより 若さを保つことができる。



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 「こころみよ」 イギリスの教育家  ヒクスン  (H15.10.05 PILOT誌)

  「 こころみよ、 こころみよ

    繰り返しこころみよ

     これぞ 心にとどめるべき教え


   こころみよ、 こころみよ

    繰り返しこころみよ

     たとえはじめに成功せずとも


   こころみよ、 こころみよ

    繰り返しこころみよ

     やがては、必ず勇気がわいてくる


   うまず努力を続ければ

   勝利の日がくるから、恐れることはない

   こころみよ、こころみよ

    繰り返しこころみよ 」



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     (2008.01.15)

朝日新聞の「天声人語」(2008,01,15)に紹介されたのを友人M君が「E-mail」で知らせてくれました

  「この国もまだいけそうだと少し安心した。」 

の書き出しで紹介されておりました


[中学生、校生 の部]


 ・夏の午後ゆれるカーテン見上げては流されるだけの自分を恥じる
         池田高等学校2年(北海道)            :長谷 佳奈子

 ・大量の情報めぐるインターネット僕は網から抜け出せずにいる
         北見北斗高等学校3年(北海道)          :大嶺 達成

 ・つらいのは君だけじゃないとか言わないで悩んでいるのぼくなんだから
         北見北斗高等学校3年(北海道)          :久保 哲也

 ・ほうれん草のおひたし最近水っぽい握力落ちた母の細腕
         鵡川高等学校3年(北海道)            :千葉 幸

 ・同じ家に住んでいながらすれちがい牛舎に父を訪ねに行こう
         六ヶ所村立千歳中学校1年(青森)         :岡部 翔

 ・その願い「叶って欲しい」と祈るより「叶えてやるさ」と動き始めろ
         県立青森中央高等学校3年(青森)         :能代谷 智樹

 ・実習帽時を経るたび汗を吸いだんだん近づく職人の臭い
         県立むつ工業高等学校1年(青森)         :織田 朋洋

 ・また明日会話できると思ってた冷たい父に話しかける私
         県立むつ工業高等学校3年(青森)         :中村 美加

 ・国境は人が造ったバリケード空見て想うそんなのないと
         県立むつ工業高等学校3年(青森)         :橋本 航

 ・仲間とのそば打ち語る父の顔白髪頭の少年がいる
         県立水沢高等学校3年(岩手)           :場 史織

 ・青みかんまだすっぱくて食べれないいつかは熟せ私の心
         県立山田高等学校2年(岩手)           :阿部 千恵子

 ・かりんとう一口食べると思い出す甘くて頑固なばあちゃんの顔
         岩出山高等学校2年(宮城)            :橋 郁美

 ・大空を切り裂いて飛ぶ白球に私はこの夏恋をしていた
         県立秋田高等学校3年(秋田)           :野村 万里奈

 ・おばあちゃんさっきも言ったよその話忍びよる影そっと肩抱く
         県立置賜農業高等学校3年(山形)         :関口 亜沙実

 ・いくつもの仮面を使ってくたびれた元の自分はどれだったかな
         県立北村山高等学校3年(山形)          :森 里奈

 ・白鳥がV字になって連れて来る自然の厳しさ冬将軍
         県立酒田工業高等学校2年(山形)         :伊藤 翔

 ・大好きな君の隣に行きたくてらせん階段一気に登る
         県立下館第一高等学校3年(茨城)         :渡辺 徹

 ・A4のコピーB5でとるように自分の気持が全ては見えない
         東洋大学附属牛久高等学校3年(茨城)       :岡野 友彦

 ・最近ねはやってるんだよKYがなぜなら僕もKYだから
         那須高原海城中学校2年(栃木)           :田中 孝明

 ・食品の賞味期限をちゃんとして買い物のとき迷惑だから
         星野学園中学校3年(埼玉)             :野村 彩乃

 ・どんな日も私を迎えてくれるのはしっぽで伝えるおかえりなさい
         県立熊谷女子高等学校1年(埼玉)         :井上 実香

 ・鏡の前で十回練習したけれどあなたの前だと言えない二文字
         県立熊谷女子高等学校2年(埼玉)         :宇佐美 静香

 ・夕焼けに鳥がつくったVサイン明日の試合の勝利のサイン
         県立熊谷女子高等学校2年(埼玉)         :岡田 朋子

 ・水彩の絵の具で描いてあるような窓越しに見る雨降りの街
         県立熊谷女子高等学校2年(埼玉)         :杉山 容子

 ・シロクマが最近暑いと泣いている今すぐ止めよう地球温暖化
         県立坂戸西高等学校3年(埼玉)          :黒沢 麻祐

 ・おとうとがニコニコしながらできたよと笑顔いっぱい初さかあがり
         県立羽生実業高等学校1年(埼玉)         :石井 莉乃

 ・家事をする母の背中を見ていたらふいに声出た私がやるよ
         県立松山女子高等学校1年(埼玉)         :磯田 美優

 ・「受験費用心配しなくて良いから」と父のメールに涙こらえる
         県立松山女子高等学校3年(埼玉)         :小林 麻未

 ・車イスガタガタゆれて怖かった砂利道でわかった高齢者の思い
         県立養護学校さいたま桜高等学園1年(埼玉)   :森田 聖吾

 ・「はよ起きや!」「わかってるわ、うるさいな!」ほんまは毎朝感謝してます
          聖望学園高等学校2年 (埼玉)           :松田 千里

 ・「ちくしょう」と悔し涙を流すほど頑張れた君がうらやましいな
         市立幕張本郷中学校2年(千葉)          :富樫 恵理子

 ・プレゼント選ぶことより悩んでる貴方に伝わる言葉選びを…
         芝浦工業大学柏中学校1年(千葉)         :和田 倫枝

 ・思春期だそんな言葉で片付けてほんとの思いを無視してばかり
         東邦大学付属東邦中学校3年(千葉)        :橋 さくら

 ・復興の願いを込めて新潟の夜空彩る大輪の花
         麗澤中学校1年(千葉)                :近藤 秀哉

 ・ありがとう人と人とをつないでる言ってうれしい言われてうれしい
         麗澤中学校2年(千葉)                :飯塚 千佳

 ・がんばれとアヤメの花が私の背細い葉っぱでそっと押したよ
         和洋国府台女子中学校1年(千葉)         :石井 美貴

 ・結び合う心も足も一歩ずつ前へ前へと百足は進む
         和洋国府台女子中学校3年(千葉)         :岩井 香奈

 ・秋空を見上げて想う晩ごはん雲のかたちで献立占う
         県立佐原高等学校3年(千葉)            :吉田 真奈美

 ・辛い時泣いてもいいよ溜め込むな話を聞くよそれが友達
         県立津田沼高等学校2年(千葉)          :石渡 香里

 ・赤点をはじめてとった時のこと修正液でも消せない思い出
         県立津田沼高等学校2年(千葉)          :岩田 昌之

 ・おはようと確かに聞こえた母の声現実を告げる指輪の遺品
         県立津田沼高等学校3年(千葉)          :徳留 裕美

 ・雨の日のたった一人のAO入試雨雲だけが私を見てる
         県立松戸高等学校3年(千葉)           :藤ア 香織

 ・片隅に積み上がってる参考書夏物語るマーカーのあと
         西武台千葉高等学校3年(千葉)          :野呂 友里恵

 ・真夜中にひとり眼を閉じ呟いたぼくはここだよ誰か見つけて
         東京学館船橋高等学校2年(千葉)         :松下 渓介

 ・ウチの母最近多い代名詞アレこれソレで意思伝わらず
         東京学館船橋高等学校2年(千葉)         :宮田 好実

 ・ケータイやインターネットが友達で寂しくないか君の人生
         稲城市立稲城第二中学校2年(東京)        :落合 将喬

 ・大臣や大人がゆとりと言ってるが子供はしっかり勉強してる
         小金井市立緑中学校3年(東京)           :藤田 真

 ・北極の厳しさ伝える温暖化青き地球の声無き悲鳴
         国分寺市立第五中学校2年(東京)         :佐々木 智未

 ・落ちついて僕はそんなに美味くない鹿に言葉は通じないけど
         国分寺市立第二中学校3年(東京)         :御畑 龍一郎

 ・嬉しいな職場体験保育園やんちゃな子たちにチュウされギュウされ
         文京区立第三中学校2年(東京)          :齋藤 みなみ

 ・朝顔はさみしがりやの誰かみたい隣の棒にすぐ絡みつく
         鴎友学園女子中学校2年(東京)          :大野 花菜

 ・試験中私の中で鳴り響くベートーヴェンの運命ダダダ
         暁星中学校3年(東京)                :上原 浩平

 ・辞書をひき「バレンタイン」の隣には「破廉恥」があると気付いたあの日
         暁星中学校3年(東京)                :宮 康貴

 ・あの月でうさぎと遊んでいるだろか澄んだ空気に妹を想う
         慶應義塾中等部1年(東京)             :石出 大地

 ・色彩をけずりおとした冬の森空の青だけひときわめだつ
         慶應義塾中等部1年(東京)             :向井 美月

 ・手のひらに人と書いてのみこんだ背負った楽器がずしりと重く
         頌栄女子学院中学校3年(東京)          :工藤 真弓

 ・両親の働く姿に胸打たれそっと終わらすマイ反抗期
         頌栄女子学院中学校3年(東京)          :樋口 絢美

 ・無言館絵のうったえに答え出ず何をすべきかたたずむ私
         東京学芸大学附属大泉中学校2年(東京)     :松原 瀬奈

 ・雨の日の帰り道には武士多し傘を片手にいざ勝負せよ
         東京学芸大学附属大泉中学校3年(東京)     :須藤 秀太

 ・レジ袋「結構です」とエコ宣言その一言が地球を救う
         都立田柄高等学校1年(東京)            :保科 香澄

 ・南極の氷を溶かす温暖化海面上がり島が溺れる
         都立府中工業高等学校1年(東京)         :中村 勇太

 ・内奥に濃密な闇蓄えてずしりと重い熟れた無花果
         都立南平高等学校3年(東京)            :伊東 光穂

 ・洗い髪ふわりと香るシャンプーと共に流したひと夏の汗
         学習院女子高等科2年(東京)            :黒田 真理恵

 ・喜びや悲しみさえも写し出す六本の弦が奏でる調べ
         暁星高等学校1年(東京)               :星野 真之介

 ・あじさいのがくにたまったにわか雨きらりこぼれる紫の粒
         駒澤大学高等学校3年(東京)            :高見 麻未

 ・エアコンで家族が集う夏の居間異常気象がもたらす絆
         女子学院高等学校1年(東京)            :小玉 千陽

 ・あなたから返事を待ってる間だけ空気と時間は密度を変える
         星美学園高等学校3年(東京)            :恩田 桜子

 ・大好きな君に会えるの期待して今朝もいつもの各駅停車
         専修大学附属高等学校2年(東京)          :長谷 亜也

 ・ハンカチにハニカミそしてぽっちゃりと「王子」の安売りいつ終わるのか
         早稲田大学高等学院3年(東京)           :吉田 泰介

 ・声だけで私とわかる患者から触れた時間の重み感じる
         新宿区医師会立看護高等専修学校1年(東京)   :山下 貴之

 ・甲子園郷里の球児の活躍に急にふるさと自慢する父
         神奈川大学附属中学校3年(神奈川)         :七田 洋平

 ・あのときにああしていればこうすればifを重ねる僕の人生
         慶應義塾普通部3年(神奈川)             :安田 恒星

 ・「俺は何故生き残ったんだ」涙する祖父の背中に言い返せぬ夏
         神奈川大学附属高等学校1年(神奈川)       :三田村 優紀

 ・散り終えた金木犀の木の下に夕焼け色の花の絨毯
         上田西高等学校1年(長野)              :中村 美月

 ・「痛くない?」鍼持つ指が震えてる今日も実技で真剣勝負
         県立岡崎盲学校1年(愛知)              :石島 美奈

 ・点ブロの上で困って立ち止る私の前に出される右手
         県立岡崎盲学校1年(愛知)              :森田 香織

 ・「大丈夫」とにじむ涙をかくす母もっと私を頼っていいよ
         光ヶ丘女子高等学校3年(愛知)           :杉浦 恵

 ・猛毒の枯れ葉剤でもドクちゃんの生きる希望は枯らせなかった
         京都医健専門学校1年(京都)            :粟津 良太

 ・稲かりでぼくの力をあてにして父と軽トラ休んでいたよ
         清風中学校1年(大阪)                :籔中 奎介

 ・両親はそんなオモチャというけれどメールひとつで涙も出るよ
         府立今宮高等学校2年(大阪)            :福家 里奈子

 ・高野山目指し夜道を歩くなか心を奪う天のオリオン
         大清風高等学校1年(大阪)             :鳥居 宏臣

 ・法被着て鉢巻しめて真剣にだんじり曳けば皆男前
         清風高等学校1年(大阪)              :矢口 陽平

 ・ネットカフェ名前はカフェのはずなのに今では人の家になってる
         清風高等学校2年(大阪)              :三浦 礼寛

 ・鉄骨が音を響かせ埋めてゆく祖母と遊んだ想い出の地を
         清風高等学校3年(大阪)              :上垣内 勇樹

 ・おじいちゃんみんなの話題と違うけど私はちゃんと聞いてるよ
         県立総合技術高等学校3年(広島)         :岸 友佳里

 ・水槽のグッピーいつも涼しそう赤いドレスがまるで貴婦人
         如水館高等学校3年(広島)             :木梨 真奈

 ・初任給で何か送ると電話した頑固な祖母が静かに泣いた
         県立宇部工業高等学校3年(山口)         :辻畑 真太郎

 ・「よう来たね」迎えてくれた祖母の手に皺の数だけやさしさ見える
         高知工業高等専門学校4年(高知)         :小川 修平

 ・酸性雨オゾンにフロンにエルニーニョどうなる未来どうなる私
         久留米信愛女学院高等学校2年(福岡)       :齋藤 結乃

 ・年賀状昔は全部手書きした今ではみんな「あけおめ」メール
         九州国際大学付属高等学校3年(福岡)       :松本 聖也

 ・道ばたに一つ綿毛のたんぽぽが風に吹かれていのちを飛ばす
         佐世保市立相浦中学校2年(長崎)          :宮本 歩

 ・クラス替え誰となるかと楽しみでいつもより早く学校へ来た
         佐世保市立中里中学校2年(長崎)          :百枝 健佑

 ・練習で球拾いしながら盗んでる先輩のプレー憧れながら
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :浅田 献斗

 ・手仕上げで工作物を磨く音部屋中やすりのサ行ザ行音
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :浅田 亮

 ・初めての機械実習緊張の心の角を切り飛ばしてる
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :泉田 純次

 ・八月の長崎の空ためらって大雲は影をやさしく落とす
         県立長崎工業高等学校1年(長崎)          :西村 翔

 ・だんだんと母になりゆく姉がいておなかに話すやさしい笑顔
         県立鹿本高等学校3年(熊本)            :村上 真紀

 ・南天に静かな光十三夜「かぐや」の便り地上にて待つ
         岩田中学校1年(大分)                :麻生 壮元

 ・「帰るね」と言ったら急に話し出す祖母の顔見て「まだいようかな」
         県立鹿児島中央高等学校2年(鹿児島)      :内田 菜月

 ・傷ついた私の心に海がある流した涙がいっぱい溜まって
         Troy High School2年(アメリカ)           :李 玖澤




[小学生 の部]


 ・紫のすみれは私くるくると五月のかぜに乗って踊るよ
         さいたま市立城南小学校5年(埼玉)        :野原 彩佳

 ・夏の朝犬がろうかで動かずに、じっとしたまま天へ召された
         コロンビアインターナショナルスクール6年(埼玉) :荒川 和樹

 ・松郷の林の緑そよそよと自然を感じああコロンビア
         コロンビアインターナショナルスクール6年(埼玉) :伊藤 慎馬

 ・できるってしんじてけったさかあがりけしきがまわるガッツポーズだ
         成田高等学校付属小学校3年(千葉)        :重吉 彩乃

 ・冬の朝空気がすんで顔出したぼうしかぶった白い富士山
         川崎市立久末小学校6年(神奈川)         :八木橋 詩織

 ・日の下でかまを手に取り稲をかる額はあせで軍手はどろで
         安城市立桜林小学校5年(愛知)           :南雲 裕貴

 ・しゅうかく日すごく楽しいいねかりだかまをもつ手に力が入る
         安城市立桜林小学校5年(愛知)           :山本 祐輔

 ・「にじ見たで」 「パパも見たで、こっちのな、はしからはしまで全部にじやで」
         茨木市立春日小学校3年(大阪)           :小川 美紀

 ・あいのりのワゴンに乗れたうれしいなみんなといっしょにハイ!ポーズ カシャ
         雲仙市立小浜小学校6年(長崎)           :川添 樹良

 ・牛さわりいろんな所さわったよとくに頭をさわりまくった
         雲仙市立小浜小学校6年(長崎)           :津田 航










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日 本



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 「 日の丸・君が代の歴史的由来 」 ( H11.3.7正論から )

日の丸についていえば、すでに八世紀前半、元日の朝廷での朝賀に「太陽をかたどった旗が掲げられた」という記録がある。

その後、武門の誉れや正義の旗印に使われるなどの経緯を経て、幕末の安政元年(一八五四年)、薩摩藩主・島津斉彬の提言と、水戸藩の徳川斉昭の賛同を得た上で幕府が外国の船と間違われないように、日の丸を「日本総船印 」に決定した。

そして明治三年、新政府が太政官布告で各国に「国旗 」として通告したという歴史がある。

君が代については、明治二年、英国の軍楽長から「どこの国にも国歌が必要だ 」という提言を受けた薩摩藩士が、和漢朗詠集などにあった「君が代は…」の歌を選び、最終的には宮内省の雅楽課が曲をつけてできあがったのである。

この二つの経緯を通して、まず、日の丸も君が代も「明治の国づくり」に当たって、国際社会で恥じない国をつくろうとした努力の一環として制定されたことが分かる。

いわば、先人たちが国づくりのために流した汗がしみこんでいるといっていい。

また、国際社会に船出するに当たり、他国との摩擦を避け、理解を得るために制定されたということだ。

こうした歴史を学ぶだけでも、自ずと日の丸・君が代への理解と敬愛の念は深まるはずだ。

日教組などのいう「軍国主義の象徴」との批判は、一時期の不幸な歴史をことさらに日の丸・君が代に結び付ける論法であろう。

特に、君が代の歌詞については「天皇が支配する世の中の繁栄を歌ったもので、主権在民に反する」という論議もある。

しかし、日本という国 は、二千年の歴史の大半は天皇が支配したのではなく、天皇を象徴として国民的な統合を保ってきたのである。

だから「天皇を象徴としていただくこの国の弥栄(いやさか)を願った歌」であり、民主主義とも少しも矛盾しない。

問題は各党やジャーナリズムが法制化への賛否を述べる前に、こうした歴史を持つ日の丸・君が代をどう受け止めているかである。



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 「 建国記念の日 について 」   ( H18.2.11正論から )

 「建国記念の日」の意義は記念といふ文字の意味が示す如く、建国の昔を思ひ起すことである。神武天皇が橿原(かしはら)の宮で即位を宣言された日付はもちろん記録に留められてはゐないが、それは一年の中で最もよき日である正月元日のことであつたと想定するのが人間の美意識乃至(ないし)聖性への意識にとつてふさはしい。

 そこでその御即位の年を讖緯(しんい)の学によつて算定し、その年の元旦を、明治六年に公定した現行の太陽暦に換算してみると二月十一日に当ることが算出できた。それは元来日本国紀元開始の日付なのだから、制定当時の如く、紀元節と呼ぶ方が適切である。

 さて、公私を問はず人間にとつて重要な行事はそれにふさはしい「吉日(よきひ)」を選んで挙行するのがよい、といふ思想は古今東西の人情の自然と言へるだらう。神武天皇の御即位がその年の元旦だつたらうと考へた『日本書紀』の編纂(へんさん)者に倣(なら)つて、明治二十二年の大日本帝国憲法の発布を、その年の二月十一日・紀元節といふ吉日を期して遂行した明治の先人の感性も、やはり一種の美乃至聖性の意識に発したものだとして改めて賛意を表したくなる。

 即ち、現行の「建国記念の日」は我が国の近代史に即して考へてみれば帝国憲法発布の記念日でもある。だからこの日を記念する行事の意義づけの一環として、国民にとつて憲法とはいつたい何か、如何なるものであるべきか、といつた問題を、その根本から考へてみる日だ、といふ受取り方にも意味があらう。

 その発布の記念日に、便宜的に現在明治憲法とも呼んでゐる旧帝国憲法制定の沿革と、それに費した先人達の苦心、そしてその各条章の本文にこめられた国憲の法理の本質を思ひ起し、再考してみるのである。それは現行一九四六年憲法の根本的改定が漸(ようやく)く現実の日程に上つてきたかに見える今日、新憲法のあるべき姿を考へるためにはむしろ必須の前提だと言つてよい。
    (産経新聞掲載の 「建国の日に考える憲法と皇室典範」 の中の一文 :東京大学名誉教授小堀桂一郎氏)


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 「 各国の国歌 について 」 ( 朝倉 謙氏から-- H11.3.14 )

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第一. 「 日本の国歌 君が代 」

1、 君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで

2、 君が代は 千尋の底のさざれ石の 鵜のいる磯とあらわるるまで

3、 君が代は 限りもあらじ長浜の 真砂の数は数みつくすとも

    作曲者 : 林 広守
    作  詞 : 不明
    出  典 : 文部省音楽取調係編纂唱歌集(明治14年)


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第二. 「 アメリカ国歌 」 ( The Star-Spangled Banner )星条旗 大使館訳詞


1、 おお 君よ 曙光の中で見えるか 黄昏の光の中で我らが誇りに満ちて称えた

  その太い縞と輝く星は危険な戦いの間中

  我らが見守る塁壁の上に勇壮に翻っていたか

  火矢の赤い輝き 空中で炸裂する爆弾は

  我らの旗が未だそこにある事を夜どうし教えてくれた

  おお あの星条旗は未だ翻っているか

  自由な人々の国 勇者の故国の上に


2、 立ち込める深い霧を通して 微かに見える岸の上に

  不逞なる敵の軍勢は恐ろしいまでに静まり返っている

  高く聳える急坂の上 断続的に吹く微風に 半ば隠れ

  半ば現れているあれは何か

  見よ それは曙の最初の旭光に映えて栄光に満ちて翻り 今輝いている

  おお それは何時までも翻っている星条旗

  自由な人々の国 勇者の故国の上に


拘束されたフランシスコ・スコット・キーが、敵艦上からボルチモアのフォート・マックヘンリー要塞への一昼夜にわたる攻撃を見て、それでも且翻る星条旗の姿に感動し作詞したものだそうです。
曲は、当時米国で愛唱されていた乾杯の歌「天国のアナクレオン」です。
原曲は、英国人ジョン・スタフォード・スミスの作曲したものでメロデーは、プッチーニの「蝶々夫人」にも使われているそうです。



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第三. 「 英国国歌 (God Save The Queen) 」 (大使館訳詞)


  神よ 我が尊い女王を守り給え 我が気高い女王に長寿あれ

  神よ 女王を守り給え 女王に勝利と幸福と栄光を与えよ

  我らの上に長く君臨されよ 神よ女王を守り給え


 世界の国歌の中で最古のものといわれているが、作詞者、作曲者は不明   1600年代チャールズU世が王位につき王制を復活した頃「神よ王を守り給え 」   という歌詞が出来たとの説もある。
 しかし、チャールズU世も次のジェームスU世も弾圧専制政治を行い、  国民の歌というより王党派の歌であったのかもしれない。
 しかし曲は、ヘンデル、ベートウベン、パガニーニ、ウエバー等が引用している。



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第四. 「 フランス共和国国歌 ( La Marseillaise) 」 ( 大使館訳詞 )

1、いざ、祖国の子達よ 栄えある日は来れり!

  圧政の血に染む旗は 我らに上げられたり!

  彼の暴虐なる兵士たちの 広野に叫ぶを聞かずや!

  我らの腕の中に来りて 我らの妻子を殺さんとす   武器を取れ 人々よ! 隊伍を組めよ!

  進め! 進め! 汚れし血を我らが畑に注がしめよ!


2、何かを願う 奴隷 逆賊 密謀の王たちの群れ!

  誰が為に久しく整えしや かかる恥ずべき桎梏を!

  フランス人よ! 我らのためなり 何たる恥辱!

  憤激の嵐は起こらん! 人々は敢えて我らを古の   奴隷となさんと企めり!

  武器を取れ 人々よ


3、何事ぞ! 他国の軍勢 我らの家に錠を敷かんとす!

  何事ぞ! 賤しき傭兵の群れ

  気高き我らの兵を葬らんとす!

  神よ 奴隷の手によりて我らの額は敵の軍門に屈せん!

  卑しき専制の輩は 我らの主とならん!

  武器を取れ 人々よ



フランスは、王政に反抗し1789年フランス革命が勃発、王政のオーストリアは、自国への波及を危惧し圧力を掛けるが、フランスはこれに対し1792年、宣戦布告し戦争に突入。
当初フランス軍は劣勢であったが、義勇軍を募り、マルセーユからに義勇軍がこの歌を高らかに合唱しながらパリに入った事から、マルセーユ軍団の歌と呼ばれた。
そしてオーストリア軍を撃破し、王制を廃止し協和政府の樹立を宣言。
1795年7月14日この歌は国歌に制定されるが、帝政の復活等を経て再度1879年国歌に制定された。
作詞作曲は、オーストリアとの戦争に参戦した陸軍工兵大尉ルージェ・ド・リールこの曲は、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化師」「二人の敵弾兵」に、また、映画「カサブランカ」にも使われている。



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第五. 「 ソビエト社会主義共和国連邦国歌 」 ( 大使館訳詞 )


1、自由な共和国の揺るぎ無い連邦を

  偉大なルーシが永遠に打ち固めた

  諸民族の意思によって創立された

  単一の力強いソビエト連邦万歳!
  ( くりかえし )
  讃えよ 我が自由な祖国

  諸民族友好の頼もしい砦!

  人民の力 レーニンの党は
  我らを共産主義の勝利に導く!


2、雷雨を突いて自由の太陽が我らを照らし

  偉大なレーニンが我らに行く手を照らした

  レーニンは正義の事業に諸民族を立ち上がらせ

  労働と功績に我らを奮い立たせた!
  ( くりかえし )


3、共産主義の不滅の思想の勝利の中に

  我らは我が国の未来を見る

  そして栄光の赤旗に

  我らは常に献身的に忠誠たらん!
  ( くりかえし )



帝政ロシア時代、英国と同様「神よ、皇帝を守り給え」という支配者賛美の歌が歌われていた。
1917年ロシア革命によってロマノフ王朝は打倒され、その後は、プロレタリアの革命歌「インターナショナル」が国民歌として国歌の役目を果していた。
第2次大戦において、ソ連は、資本主義諸国と手を握り、対独戦争を遂行する必要が生じたため、国歌の全国コンクールを実施し、その結果、1943年この詩と曲が採用された。
フルシチョフのスターリン批判以降は曲だけ演奏されたが、1977年になってスターリンをレーニンに変え公式に国歌として採択された。



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第六. 「 中国国歌 」(大使館訳詞)

  起て! 奴隷になることを望まぬ人々よ!

  我れらが血肉で築こう新たな長城を!

  中華民族に最大の危機迫る

  一人一人が最後の雄叫びを上げる時だ!

  起て! 起て! 起て!

  諸人心を一つに 敵の砲火を突いて進め!

  敵の砲火を突いて進め!

  進め! 進め! 進め!



中国の国歌「義勇軍行進曲」は、最初、「風雲児女」という映画の主題歌であった。
この映画は、1931年日中紛争の最中であり、抗日義勇軍?に参戦する青年の姿を描いたものです。
この曲は、日本軍に立ち向かう中国人の戦意を高め、歌詞も戦時下らしく激越な愛国精神の激励歌です。
1949年9月27日、中国人民政治会議で正式に国歌が制定されるまで、「 義勇軍行進曲 」を国歌とすると決議されています。
一時歌詞が改められましたが、1982年12月4日第五回全人代で、「義勇軍行進曲 」 の原歌詞を復活させ、中国の正式の国歌と定めている。



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以上各国の国歌の歌詞を列記しましたが、皆様はどのように感じられましたか。
日本国歌の真の愛情を歌い上げた歌詞に比し、各国の血なまぐさい歌詞の差に驚いております。
しかしこれが、本当の愛国の歌(国歌)で、日本が例外なのかもしれません。



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 「 日本人の矛盾する性格 」 (ルース・ベネディクト)

・ 日本人は最高度に、喧嘩好きであると共におとなしく

・ 軍国主義的であると共に耽美的であり

・ 不遜であると共に礼儀正しく

・ 頑固であると共に順応性に富み

・ 従順であると共にうるさくこずき回されることを憤り

・ 忠実であると共に不忠実であり

・ 勇敢であると共に臆病であり

・ 保守的であると共に新しいものを喜んで迎え入れる

・ 彼等は自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の不行跡が知られない時には罪の誘惑に負かされる

・ 彼等の兵士は徹底的に訓練されるが、しかしまた反抗的である



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 「 故 マザー・テレサの言葉 」

「 いま地球で飢えたところが2つある。
アフリカと日本です。
日本の飢えは、精神の飢えです。 」

と1982年に言われたことがあります。
私たち日本人が無くしたものを、ここで感じてくだされば幸いです。



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 「日本の世界遺産」 (H19.09.01)

    * 「世界遺産」とは : 國・民族を超えた価値を持つ貴重な建造物や自然環境などを保護するため、
       世界遺産条約に基づき、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が毎年開く世界遺産委員会で登録するかどうかを決める。
       2007年7月現在、世界で 800件余 が、日本では14件が 登録されている。

 [文化遺産 10件]

   法隆寺地域の仏教建造物(奈良県斑鳩町 1993)

   姫路城(兵庫県姫路市 1993)

   古都京都の文化財(京都市、京都府宇治市、大津市、1994)

   白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜県白川村、富山県平村、上平村 1995)

   原爆ドーム(広島市 1996)

   厳島神社(広島県宮島町 1996)

   古都奈良の文化財(奈良市 1998)

   日光の社寺(栃木県日光市 1999)

   琉球王国のグスクおよび関連遺産群(沖縄県 2000)

   紀伊山地の霊場と参詣道(三重県、奈良県、和歌山県 2004)


 [自然遺産 4件]

   屋久島(鹿児島県屋久町、上屋久町 1993)

   白神山地(青森県、秋田県 1993)

   知床(北海道・知床半島とその沖合3kmまでの海域 2005)

   石見銀山遺跡(島根県・大田市 戦国から江戸時代にかけて栄えた日本を代表する銀山 2007)


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 世界遺産 「白神山地」 について :  手付かずのブナ原生林が魅力!  (H20.07.03)
ブナは、秋になると紅葉して葉を落とす落葉広葉樹です。
多くの鳥や動物たち
にとって、ブナの実は秋のごちそうですし、散った葉や倒れて朽ちた老木は、豊かな森や林を育む大切な栄養となります。ブナの木は、幹や根にたっぷりと水分を蓄えているので、ブナが生い茂る林は保水力が高く、よく「自然のダム」などと呼ばれます。

ブナの林は、近年になって急速に伐採が進みました。
ブナを切って、代わりに材木としての需要が高く、生育の早いスギを植林する動きが加速していったからです。
しいたけ栽培などに利用するため、人が手をかけて整えてきたブナ林は、かろうじて里山として残っていますが、自然のままで手付かずのブナ林というのは、私たちの周りからみるみる消えていきました。

ところが、青森県と秋田県にまたがる約13万haの広大な山間一帯には、いまだに人の手がほとんど加えられていない、世界最大級のブナの原生林が広がっています。
そのうちの約1万7,000haが、1993(平成5)年、ユネスコの世界遺産に登録されました。
屋久島とともに、日本で初めて世界自然遺産に登録されることになったその場所こそが、「白神(しらかみ)山地」です。

日本海に面して、標高1,000〜1,200m級の山々が連なる白神山地。
そこに広がるブナの原生林は、およそ8,000年前の縄文時代に誕生したものではないかといわれています。
以来、ほとんど人間による影響を受けることなく、現在まで自然のままの環境を保ち続けているのです。

北緯40度付近という高緯度にもかかわらず、多くの動植物を育む豊かなブナ林がある白神山地には、ツキノワグマ、ニホンザル、クマゲラ、イヌワシなど希少な動物たちが生息しています。
特に、日本で見られるキツツキとしては最も大きい天然記念物のクマゲラは、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧II類(にるい)に、同じく国の天然記念物であるイヌワシは、絶滅危惧IB類(いちびーるい)に指定されているほど、貴重な存在なのです。

白神山地とその周辺には樹齢400年ともいわれるブナの巨木「マザーツリー」をはじめ、3つの滝が続く「暗門(あんもん)の滝」、世界自然遺産地域を一望できる「二ツ森」や「津軽峠」、ブナの幹に残されたクマの爪跡が見られる「ミニ白神」などの見どころがあります。
どこまでも透明で神秘的な青い水をたたえた「青池(あおいけ)」がある「十二湖(じゅうにこ)」も、白神山地に隣接する位置にあります。
これらの見どころは、車で近くまで行って、少し歩けば目にすることができます。
また、JR五能線を走るクルージングトレイン「リゾートしらかみ」に乗車して、駅からバス利用で訪れる人たちも増えています。
3タイプの車両がある「リゾートしらかみ」では、車内や駅での楽しいイベントが用意されています。
列車の発着時刻に合わせた、お得な宿泊プランやガイド付きトレッキングツアーなども組まれているので、白神山地を訪れる人たちに大人気の交通手段となっているようです。

観光用に整備されている白神山地の見どころへは、高原の林の中を歩くような靴と服装で出かければ支障はないでしょう。
ヒールのある靴やサンダルだと、さすがに歩くのには無理がありますのでご注意ください。
さらに深く白神山地を知りたければ、本格的なトレッキングや登山の準備が必要です。
ただし、世界遺産に登録されている約1万7,000haのうち、およそ1万haは核心地域(保全地区)として、人の立ち入りが厳しく制限されています。
入山許可の申請が必要な登山地域や、林道すらもない地域があって、高度な登山技術を持ち、経験を積んだ人でなければ遭難の危険が伴います。
もちろん、完全に入山が禁止されている地域もあります。

人の影響を受けず、人間界から隔絶した世界が保たれていることこそが、白神山地の魅力であり、世界遺産に選ばれた理由でもあります。
その手付かずの自然を、このままそっくり後世に伝え残していくことは、私たちに課せられた義務であるともいえるでしょう。
その意識を胸に刻みながら、皆さんもこの夏、悠久のときを生きるブナの林、白神山地を訪れてみませんか。



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 『 裁判員制度 』 のこと、あなたはどれくらいご存じですか? (H20.07.18)


「映画で見た、アメリカの陪審員のようなもの?」
「法律の専門家でもないのに、有罪か無罪かを判断できるの?」
「裁判員に選ばれると、仕事や家事はどうなるの?」
などなど、疑問や不安は尽きないと思います。

『裁判員制度』は、2004(平成16)年に成立した 「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」 によって、2009(平成21)年5月21日から実施されることが定められています。
スタートまで、あと10か月と迫っているわけです。
これまでの刑事裁判では、検察側と弁護側双方の主張について、原則として3人の裁判官が評議し、被告人が有罪か無罪か、有罪であれば量刑はどの程度が相当かを決定し、判決が宣告されていました。

それが 『裁判員制度』 導入後は、原則として3人の裁判官に加え、一般から選ばれた6人の裁判員も公判に立ち会い、裁判官たちと一緒に評議を行って評決に参加することになります。
公判開始から判決が宣告されるまで、裁判官たちと同じように、6人の裁判員もその裁判に責任を持つことになるわけです。

1つの裁判で選任される裁判員の人数は原則6人ですが、公判途中で裁判員の人数に不足が生じるような事態を考慮して、さらに最大6人までの補充裁判員が加えられる場合もあります。

とはいえ、すべての刑事裁判が 『裁判員制度』 の対象となるわけではありません。
『裁判員制度』 の対象となるのは、殺人や強盗致死傷、傷害致死、身代金目的の誘拐など、凶悪事件の裁判です。
また、泥酔した状態で車を運転し、人をひいて死亡させてしまった場合などに問われる危険運転致死罪や、虐待や育児放棄によって子どもを死亡させてしまった場合などに問われる保護責任者遺棄致死罪などの裁判も『裁判員制度』の対象となっています。

つまり、裁判員に選ばれた人は、場合によっては死刑や無期懲役などを含む非常に重い判断が求められる刑事裁判に参加しなければいけないということです。

では、どのような人が裁判員に選ばれるのでしょうか?

まず、全国253か所に設置されている地方裁判所ごとに、管轄区内の裁判員候補者の名簿が毎年作成されます。
この名簿に載るのは、市町村の選挙管理委員会がくじで選んだ人たち。
ですから、選挙権を持つ人なら、誰もが裁判員候補者になる可能性があるわけです。

名簿に載った人には、地方裁判所から調査票が送られます。
その調査票で、対象者が自衛官や警察職員だったり、重い疾病や傷害を負っていたりして、明らかに裁判員になることができないと認められる場合には名簿から除外されます。

次に、名簿の中から、1つの裁判につき50〜100人程度の裁判員候補者がくじで選ばれます。
選ばれた裁判員候補者には、今度は質問票を同封した選任手続期日のお知らせ(呼出状)が、裁判開始の6〜8週間くらい前に地方裁判所から送付されます。

この質問票で、例えば、1日でも介護・養育がないと日常生活を営むのに支障がある同居家族がいるなどの事情が明らかになれば、裁判員候補者を辞退することが認められる場合もあります。
しかし、仕事を理由に辞退することが認められるケースは、かなり限定されるようです。

裁判員候補者になった人は、基本的には、呼出状で指定された日の午前中に管轄の地方裁判所に出向いて、裁判長による選任手続きを受けることになります。

この選任手続きを経て、最後はくじによって6人が裁判員に選ばれ、その日の午後から公判に参加することになるのです。

裁判員に選ばれた人は、判決が宣告されるまで、すべての公判に出席しなければなりません。
もし裁判員が1人でも欠席すると、その日の公判は開かれなくなりますし、正当な理由のない欠席には10万円以下の罰金が科せられることもあります。
しかし、「判決が宣告されるまでは裁判所から出ることも許されず、何日も裁判所に泊まり込むことになる」というのは誤解で、裁判員はその日の公判が終われば、普通に自宅に帰ることができます。

なお、裁判員候補者に選ばれたり、裁判員に決まったりして裁判所に行く場合は、法律で定められた交通費と日当が支給されます。
また、自宅が遠くて宿泊が必要となるような場合には、宿泊費も支給されることになっています。

重い責任があり、仕事や日常生活にも制約を受ける 『裁判員制度』 ですが、これにより、国民にわかりやすい裁判が行われ、審理にかかる期間も大幅に短縮するよう努めることになります。
そして、国民全体に、法律を順守することへの意義や理解が高まることが期待されているのです。

来年5月のスタートまで、そしてその後も、試行錯誤が続くであろう 『裁判員制度』。
この制度の導入で我々にとって、もっと司法が身近に感じられるようになることを期待したいですね。




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 「戦後日本の 景気拡大期間 の比較」 (H17.09.01)
☆日本経済の拡張・拡大期間の比較 (平成17年08月末時点)

   現在の日本経済は、2002年1月 を 「谷」 とする景気拡大期が 2005年8月 で 43ヶ月 続き、戦後4位の 「岩戸景気」(42ヶ月)を抜き、
   1993年10月 から 1997年5月 まで続いた戦後3位の長期記録をも抜く可能性が大になった。


  @ 1965年10月 〜 1970年07月:57ヶ月  = 「いざなぎ景気」

  A 1986年11月 〜 1991年02月:51ヶ月  = 「バブル 景 気」

  B 1993年10月 〜 1997年05月:48ヶ月  = (呼称名なし)

 ○C 2002年01月 〜 2005年08月:43ヶ月+ = 『現在の景気拡大期』(継続中)

  D 1958年06月 〜 1961年12月:42ヶ月  = 「岩 戸 景 気」

  E 1954年11月 〜 1957年06月:31ヶ月  = 「神 武 景 気」

   注記:
    * 戦後の平均値は : 約33ヶ月。
    * 期間は景気の 「谷」 から 「山」 までの長さを指す。












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教 育



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 次の 文章を 読まれて 皆さんは どのように感じ取られますか。

『 私は 私たちの祖先が 遠大な理想のもとに 道義国家の実現を目指して 日本の国をはじめられたものと信じています。

そして、日本国民が 国を愛する心と 親に孝行する気持の両方の道 を完うし、みんなが心を合わせて努力した結果、今日のような 立派な国家に創りあげることができたのであり、 もとよりこれはすぐれた日本の国柄に依る物ではありますが、教育の根本もまた、 この道義立国の達成に依るものと 私は かたく信じています。

国民の皆さんは、

 子供は 親に孝養を尽くし、
 兄弟、姉妹は 互いに力を合わせて 助け合い、
 夫婦は 仲睦まじく 解け合い、
 友人は 胸襟を開いて 信じあい、
 そして自分の言動 を つつしみ、
 すべての人々に 愛の手をさしのべ、
 学問を 怠らず、
 職業に 専念し、
 知識を 養い、
 人格を みがき、 さらに進んで
 社会公共のために 貢献し、 また
 法律や 秩序を 守ることは勿論のこと、
 非常事態発生の場合には 真心をささげて 国の平和 と安全に 奉仕しなければなりません。

これらの伝統的美風を守ることは、善良な日本国民として 当然の務めであるばかりでなく、 今日まで私達の祖先が身をもって 示し残されたこれらのことを 更にいっそう明りょうにすることが 重要であります。

このような 国民の歩むべき道しるべは 祖先の残された教訓として私達子孫が守らなければならない基本であると共に、この教えは 今も昔も変わらない正しい道であり、また 日本ばかりでなく 外国に行っても 間違いのない正しい道ですから私もまた 国民の皆さんとともに、
祖先が残されたこれらの教えを しっかり胸に抱いて、 立派な日本人となるように 心から願うものであります。 』


これは明治天皇が制定された  「教育勅語」  の 口語文訳です。

現在 の荒廃した社会を正して、明るい日本を再構築するためにも、
個人、家庭はもとより、社会、国をあげて教育の原点に 立ち返ることが 必要不可欠であり、 そのためには
今こそ 「教育勅語」 の 崇高な これらの理念をもう一度 素直な気持で見直してみる必要があるのではないでしょうか。


「教育勅語 原文」






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  現 「教育基本法」 (1947,04制定) の考察
                [ノートルダム女子大学長 梶田叡一郎氏] (H13,11,28)

「教育基本法」 はその制定理念として、敗戦直後の教育改革に向けて次の四つのポイントに焦点が当てられている。 即ち、

  @, 「 軍国主義 から 平和主義へ 」
  A, 「 全体主義 から 個人主義へ 」
  B, 「 日本主義 から 国際主義へ 」
  C, 「 国家神道体制 から 社会の非宗教化へ 」

これらは今でも評価できる大切な理念ではあるが、戦後50年たった現在では思わぬ問題を引き起こしている。

  @, 先ず「軍国主義から平和主義へ」の改革は
     「独善的一国平和主義」を引き起こし、「国防的意識の欠如」と云う問題が生まれた。

  A, 二つめの「全体主義から個人主義へ」は
     「連帯の中での自己責任の意識の欠如」を引き起こし、しいては「他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」という輩を創出した。

  B, 三つめの「日本主義から国際主義へ」は
     「日本の伝統、先人の業績の忘却」という問題を引き起こしている。

  C, 四つめの「国家神道体制から社会の非宗教化へ」は
     「宗教蔑視と人間の宗教的本性の無理解」を引き起こし、「急速な世俗化の進行、畏敬の感覚の喪失」などを生み出してしまった。



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 『 子は 親の 鑑 』       ドロシー・ロー・ノルト 博士  (1954)    (H17.3.29)

けなされて育つと、 子どもは 人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、 子どもは 乱暴になる

不安な気持ちで育てると、 子どもも 不安になる

「可愛そうな子だ」と言って育てると、 子どもは みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、 引込み思案な子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも 人を羨むようになる

叱り続けてばかりいると、 子どもは 「自分は悪い子なんだ」 と思ってしまう

励ましてあげれば、 子どもは 自信を持つようになる

広い心で接すれば、 キレる子にはならない


褒めてあげれば、 子どもは 明るい子に育つ

愛してあげれば、 子どもは 人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、 子どもは 自分が好きになる

見つめてあげれば、 子どもは 頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、 子どもは 思いやりを学ぶ

親が正直であれば、 子どもは 正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、 子どもは 正義感のある子に育つ

やさしく 思いやりを持って育てれば、 子どもは やさしい子に育つ

守ってあげれば、 子どもは 強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、
     子どもは この世の中はいいところだと思えるようになる


       【子どもが育つ魔法の言葉】より引用



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 《我が子の落ち度はなにか》 正論 永世棋聖 米長邦雄 (H11.9.17)

      将棋の世界を、そのまま学校へ持ち込むとすれば次の点をチェックしさえすれば良い。

(1). 母親は、父親つまり夫より常に一歩退いて控える。


(2). 学校に入った以上は、全てを学校に一任する。信頼である。


(3). 怪我をしたり、先生に叱られたり、時にはゲンコツを食らったりした時 “我が子の落ち度はなにか” をイの一番に考えてから行動する。


(4). 我が子に余り期待しない。 所詮自分の子供だと自覚する。

 以上四点が主たるもの。
 この四つが当たり前と感じているお母さんは、日本中に三人くらいしか居るまい。
 この四つの中で、最も重要なのは、人生に関しては(1)で、教育に関しては(3)である。



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 養うて教えざるは 親の過ち、 教えて厳しからざるは 師の怠り   「三字経」



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 「 負けの中に 次につながる 勝ちの芽がある 」 

               全日本女子バレーボール監督  柳本 昌一氏のことば  (H16.7.25 NHKテレビ)



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 「 親子 3 代 」

「 初代は 財を築き 、 2代目は その上にあぐらをかく。  そして 3代目はあぐらをかいている親父を見て家を潰す。」


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 「 大工職人を育てるには 」


  田中文男さん   (有)「真木」社長 (H11.3.9 朝日新聞)
「 返事は六つしかないな。

  わかるか、  わからないか。
  できるか、  できないか。
  好きか、    嫌いか。  」



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 「 一人前の戦闘機パイロットの養成の経費 」 (Biglobe 記事から)
統計的なデータによると、

戦闘機パイロットの養成費用は約6億円と云われている。
そしてその期間は約6年も要する。

忘れてならない事は、これらは戦闘機パイロットの卵を養成するため操縦学校などで要する費用と期間であって実戦に役立つ「ベテラン戦闘機パイロット」まで養成するためには更に多くの費用と期間を要する。
JASDFでは現在、この費用と期間を費やして、年間にやっと十数人のファイターパイロットが誕生しているのである。

彼等はその後、実戦部隊に配属され、各種の飛行訓練を重ねていき、TRパイロット( 訓練生=Training Readiness )としての約半年の期間を経て、ORパイロット( 任務可能な=Operation Readiness ) になり、スクランブルなどもを経験し、射撃資格を取得することでCRパイロット( 戦闘要員=Combat Readiness )になり、やっと一人前の戦闘機パイロットとして認められ役に立つのである。
そして、部隊内でのチームワークを得るまでの歳月はどの位かかるか分からないが、少なくとも一人前の戦闘機パイロットという存在は、体重と同じ重さの ”金 ”にも代え難い存在である。

航空事故などの場合には万全の捜索・救難能力を維持・発動することによってパイロットの喪失を局限し、実戦戦力の維持を図らなければならない。
また、F-15J×1機の値段は約110億円で、製造には実に1年以上を要する。

國の防衛は一朝一夕に築く事は不可能であり、国民の総意に基盤を置き、国民の生命をかけ、日夜たゆまぬ努力の積み重ねで初めて為し遂げられるのである。



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 「 気付いたら叱って下さい、 家の子も 」   出羽錦忠雄親方(H10.1.10 NHK TVで)


 「 人事を尽くして、 天命を待つ 」 ではなく 「 天命に任せて、 人事を尽くす 」   中村仁一氏の「穏やかな死」より


 「 愚者は己の経験に学び、 賢者は他人の経験に学ぶ 」   ビスマルク


 「 かごに乗る人、 担ぐ人、 そのまたわらじを作る人 」


 「 綸言 汗のごとし 」 ( 漢書 )
     絶大な地位にある君主の言は、汗が再び体内に戻らないように、取りかえしがつかないのである。
      君主ほどではなくても政治家の言葉 だって重い。  ( 中日春秋 H15.7.15 )


 「 士は以って  弘毅ならざるべからず 」
     指導者は広い視野、強い意志が必須である。


 「 速やかなるを欲するなかれ、 小利を見るなかれ 速やかならんと欲すれば 則ち達せず
     小利を見れば 則ち大事ならず 」


 「 君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず 」
     君子は、他人と心を合わせよく事に当たるが、
       自分を見失って他人に引きずられたり、へつらったりしないものだ。

    一方小人は、人に引きずられたり、へつらったりはするが、
       自分の立場を守って他と調和していくことをしない。


 「 君子は泰(タイ)にして 驕(オゴ)らず、 小人は驕りて 泰ならず 」
     君子はゆったりとかまえてこせこせしないが、小人は周りの人を見下ろすようなことをして、反発を買い自分の進歩を止めてしまう。


 「 君子は 言に訥にして 行いに 敏ならんことを欲す 」
     発言は 慎重に 行動は機敏に


 「 子曰く 人の己を知らざるを患えず 人を知らざるを患えよ 」


 「 朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり 」



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 『 五 常 』 伊勢貞丈(さだたけ・江戸中期の学者)の家訓

五常 とは、仁義礼智信の五つなり。
この五つは天然自然人に生まれつきたる根性なり。
この五つの根性を常に用いざれば、かなわざる事なる故、五常というなり。


一、 仁というは、人を初めとして、生ある物をあわれみめぐみ、思いやりふかく、いたわる根性を仁というなり。
    仁は慈悲の事と心得べし。
    父母に孝行するを始めとして、万事この仁をはなれてはならぬ事なり。


一、 義というは、義理あいの事なり。
    めいわくにおもうとも、すべき筋の事をば、かならずする、すまじき筋の事をば、決してせぬを義というなり。


一、 礼というは、我より目上なる人をばあがめうやまい、目下なる人をもいやしめずあなどらず、  我が身をへりくだりて人にほこらず、おごる事なきを礼というなり。


一、 智というは、道理と無理、善と悪、是と非を分別するを初めとして、  耳にきかず目に見ぬ事迄も、かんがえ知りわきまうるを智というなり。


一、 信というは、真実にしていつわりなく、わだかまりなく、かげひなたなく、一すじにまことなるをいう。
    信は正直の事と心得べし。仁も義も礼も智も信というものがなければ、皆いつわり事となるなり。
    右の五つの根性を、とりうしなわぬ様に心がくべし。
    我がままなる心をもつ時は、右の根性きえうせて、悪事をし出すなり。



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 「青年よ、大志を抱くな!」       ひろさちや のほどほど人生論より(2006/9/19 中日新聞)

 「青年よ、大志を抱くな!」と、クラーク博士は言いました。

クラーク博士(1826〜86)といえば、アメリカのマサチューセッツ農科大学の学長でしたが、明治政府の招請を受けて札幌農学校(現在の北海道大学)の教頭に就任した科学者です。
その教育は、内村鑑三や新渡戸稲造などに大きな影響を与えたことはよく知られています。


さて、そのクラーク博士の言葉ですが、きっと読者はわたしの引用がまちがっていると思っておられるでしょう。 
なるほど、クラーク博士の言葉は

 『 Boys Be Ambisious 』

であって、訳せば

 『 青年よ 大志を抱け! 』

になります。  したがって、わたしの引用はまちがいです。


けれども、クラーク博士が本当に言いたかったことは何でしょうか?
この言葉には続きがあります。  それを読んでみて下さい。

 『「青年よ 大志を抱け!」 その大志は金銭や利己的な出世のためであってはならず、
   また世人が名声と呼ぶがごときむなしきもののためであってはならない。
   ・・・人間として当然備えていなければならぬものを達成するために、大志を抱け 』


読者のみなさんはどう思われますか?
クラーク博士は、金儲けのために大志を抱け、とは言っていません。
大勢の株主を騙し、与党に政治献金をやってしか企業が発展できないのであれば、そんな企業を興すことは大志ではありません。
そんな企業の中で出世をすることが大志ではないのです。


クラーク博士は政治家になれとも言っていないでしょう。
人格・識見に富んだ政治家は別です。
でも、人格者の政治家は、現在の日本には顕微鏡的少数です。
大多数の政治家は、選挙に勝つことと利権あさりばかりを考えています。
そんな政治家であるならむしろクラーク博士は、「青年よ、政治家になるな・・・」と言いたいでしょう。


だからわたしは、クラーク博士は、「青年よ、大志を抱くな!」と言ったのだと思います。
博士が言いたかったことは、人格・識見にすぐれた人間になれ! であったはずです。


いま日本は、大きな曲がり角にあります。
利権あさりの政治のために、国家の赤字は国民一人当たり六百万円以上になっています。
誕生したばかりの赤ん坊が、六百万円以上の借金を背負わされるのです。
こんな国に生まれたいとは思わない赤ん坊が多いでしょう。
だから、子供が生まれない日本になっています。


それなのに与党の政治家は、国民に愛国心を植えつけようとやっきになっています。
政治家の仕事は、誰からも愛される国を造ることではないでしょうか。
愛することのできない国を造っておいて、「国を愛せ」とほざくことが政治家の仕事ではありません。


経済的利害だけに大志を燃やす人間は、わたしは人間としてクズだと思います。
わたしたちはもっと高貴な人間にならねばならぬと思うのですが、まちがっているでしょうか?  (宗教評論家)



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 「 人は必ず過ちを犯す 」 (中日新聞社説 (H10.2.8))

・ 指導者像を論ずる際に 「 ノブレス・オブ リージ 」 という言葉がよく使われます。
  「 高い身分に伴う徳義上の義務 」 などと訳されます。


・ 「 李下に冠を正さず 」 「 君子危うきに近寄らず 」---。
  人生訓の多くは、そうした人間を戒める内容になっています。


・ 最近よく紹介されるように、米国連邦公務員は
  「 一回二〇ドル未満、 同一人物から 年間五〇ドル未満 」 の接待、贈り物しか受けられないと規定しています。
  違反には厳しい処分があります。


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 『 祝 婚 歌 』   (しゅくこんか  吉野 弘)   (中日新聞  H19,11,29)

     [ 結婚式の祝辞に披露して下さい ]

二人が睦まじくいるためには

    愚かでいるほうがいい

    立派過ぎないほうがいい

   立派過ぎることは

    長持ちしないことだと

    気づいているほうがいい

   完璧をめざさないほうがいい


   完璧なんて不自然なことだと

   うそぶいているほうがいい

  二人のうち どちらかが

   ふざけているほうがいい

   ずっこけているほうがいい

  互いに非難することがあっても

   非難できる資格が自分にあったかどうか

   あとで疑わしくなるほうがいい

  正しいことを言うときは

   少しひかえめにするほうがいい

  正しいことを言うときは

   相手を傷つけやすいものだと

   気づいているほうがいい

  立派でありたいとか

   正しくありたいとかいう

   無理な緊張には色目を使わず

   ゆったりゆたかに

   光を浴びているほうがいい

  健康で風に吹かれながら

   生きていることのなつかしさに

   ふと胸が熱くなる

   そんな日があってもいい

  そしてなぜ 胸が熱くなるのか

   黙っていてもふたりには

   わかるのであってほしい




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 「 人 は 皆 」 ( 徳川宗春(通春) )

「 分別工夫ある人にても、 如何なる善人にても、

   若く盛んなる時は 一旦二旦あやまる事あるなり。

     万の事を珍しく覚え、遊覧好色もちろんの事にて、漢和古今同じ事なり 」



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 「 目に見せて、  言って聞かせて、  させてみて、  ほめてやらねば、  人は動かず 」
   これは上杉鷹山(当時全国一 貧しい藩であった米沢の上杉藩を見事に立て直した名君)が
   ミドルクラスの管理者たちに教示した言葉であり、彼は ケネディ大統領が最も尊敬した政治家、為政者である。


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 「 稽古とは 一より習い 十を知り 十よりかへる もとのその一 」  ( 千利休:小泉総理の平成14年年頭の言葉から )



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 「 三学戒 」 小泉内閣メールマガジン (13,12,27)から

    佐藤一斎(1772年〜1859年)の 「言志四録」(げんししろく) の一説。  佐藤一斎は江戸後期の儒学者。
    美濃岩村藩(現在の岐阜県恵那郡岩村町)の出身で、江戸幕府の「昌平坂学問所」の儒官を努めた人物。
    門下生に渡辺崋山、佐久間象山、大塩平八郎などがいます。 幕末回天の事業に大きな影響を与えました。

「 少(わか)くして学べば 壮にして為すあり。」
   若くして学べば、大人になって世のため、人のために役に立つ人間になる。

「 壮にして学べば 老いて衰えず。」
   壮年になって学べば、年をとっても衰えない。いつまでも活きいきしていられる。

「 老にして学べば 死して朽ちず。」
   年をとっても学び続けている人は、死んでもくさらない。



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 「 緒葛孔明 」 の  ( 七禁 ) 、( 水清 )、( 将 )、( 仲達 )

*  「 軍 に 七禁 あり   軽 、慢 、盗 、欺 、背、乱 、誤 なり 。  これ治軍の七禁なり 。 」


*  「 水 、 至りて 清ければ 魚なく 、 人 至りて察なければ すなわち 徒(ナカマ)なし 。」


*  「 相手 の悪い ところをめざとく 見つけ、そこから起こる禍 を察知する能力があって部下が服従する者は、[十夫の将]、

    早朝 から 深夜まで 働き、指示が適切である者は、[百夫の将]、

     勇敢 で戦うのが 巧みな者は [千夫の将]、

      気性がはげしく 兵の仕事 や 生活のつらさを知っている者は [万夫の将]、

       賢人 や 才幹 のある者 を 抜擢し、至誠 があり寛大 で 政治をよく知っている者は [十万の将] 、

        人々への愛情 が 十分で、信義 があり、隣国も服し、世界のあらゆることを知っており、
         世界を我が家 のように見なすことのできる者は [天下を率いる将] である 。」


*  「 死せる緒葛、生ける仲達を 走らす。」



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 「 一年の計は 穀を植うる にあり、

     十年の計は 樹を植うる にあり、

       百年の計は 人を育てる にあり 」  ( 中国の諺から )




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 「自主性」

自主性 とは、自分勝手なわがままのことではない。

秩序や規律の裏打ちを必要としている。

厳しいしつけやきまりの強要があって初めて機能する。

自主性は放っておいて生まれるものではなく、 きちんとした指導で育てられるものである。

              (H11.3.4の産経抄)


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 「日常の五心」

 1、「 すみません 」  という反省の心

 2、「 はい 」  という素直な心

 3、「 おかげさまで 」  という謙譲の心

 4、「 私がします 」  という奉仕の心

 5、「 有難う 」  という感謝の心



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 「名君3人の遺言」

*貞山政宗公遺言


   仁に過ぐれば 弱くなる

   義に過ぐれば 固くなる

   礼に過ぐれば へつらいとなる

   智に過ぐれば うそをつく

   信に過ぐれば 損をする


    気長く心穏やかにして万に倹約を用いて金を備うべし。

    倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世の客に来たと思えば何の苦もなし。

    朝夕の食事うまからずとも誉めて食うべし、元来客の身なれば好き嫌いは申されまし。

    今日の行きおくり子孫兄弟によく挨拶して娑婆の御いとま申すがよし。


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*徳川家康公遺言(慶長8年正月15日)


   人の一生は重荷を負い遠き道を行くが如し急ぐべからず。

   不自由を常と思えば不足無し、心に望み起こらば困窮したる時を思いだすべし。

   堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

   勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る。

   己をせめて人を責めるな。

   及ばざるは過ぎたるにまされり。


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*水戸光圀公遺言


   苦は楽のたね、楽は苦のたねと知るべし。

   主人と親とは無理なるものと思い、恩を忘るることなかれ。

   下人はたらわぬものと知るべし。

   子程に親を思い、子なきものは身にくらべて近きを手本とすべし。

   掟に怖じよ、分別なきものに怖じよ。

   朝寝すべからず、長座すべからず。

   小事もあなどらず、大事も驚くべからず。

   慾と色と酒はかたきと知るべし。

   正直は一生の宝、堪忍は一生の相続、慈悲は一生の祈祷と知る辺し。



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 「 駿ちゃん ごめんな 」
平成15年7月1日 長崎市で4歳の種元駿ちゃんが立体駐車場8階の屋上から裸にされて突き落とされ、殺害されると云うショッキングな事件が発生しました。
そして、9日後に容疑者として中学1年男子生徒(12歳)が補導され、家裁に送致されました。
事件現場には連日駿ちゃんのご冥福を祈って供花が続いており、16日「中学教師」と名乗る匿名の人から次ようなメッセージが供花の傍に置かれていました。
何よりも重要な青少年の育生について現在の大人社会に欠けている大事な何かをこの文が提示しているように思いましたので転載します。  ( 爺さん付記)


『 駿ちゃん 痛かったやろう 怖かったやろう ごめんね。

 僕ら大人がこんだけまわりにいて、助けてあげられなくて、本当にごめんね。

 前の長崎は こんな感じじゃなかった。 狭い街で、みんなの顔が、お互いに見えとった。

 いつの間にか こがんなってしまとったとやね。 ごめんね。

 私は中学校の教師をしています。 中学校の教師として 本当に申し訳ない。

 今まで 僕らは何を生徒に教えとったつもりやったとやろう。

 駿くんのことを 生徒と一緒に語り合いました。

 そして、このような「命」を「命」と思わない心、自分自身の中にもあるかもしれない邪悪な心と対決していく誓いを交わしました。

 私が教師である限り、人間である限り、長崎市民であるかぎり、それを続けます。

 たとえ何年たっても、近くに来たときには、君に会いに来ます。 お祈りにきます。

 だから駿ちゃん ごめんな。 本当に ごめんな。 』
  (中日新聞7/17付朝刊記事)


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 「親子で歌いつごう 日本の歌 百選」  (H19.01.14)

河合隼雄文化庁長官の提案で 「歌を通じて家族のきずなを確かめるきっかけに」 と全国から公募し、応募のあった 895曲 (約6,700通応募) の中から
歌手の由紀さおりさんらが最終的に次の [百一曲] を選びました。
入選作には「お正月」、「赤とんぼ」、「めだかの学校」など懐かしい童謡や民謡が目立つ一方で
「いい日旅立ち」、「上を向いて歩こう」など昭和のヒット曲も選ばれました。
文化庁ではこれらを音楽の副教材として学校の教育現場でも活用してもらいたいとしている。


 *仰げば尊し   *赤い靴   *赤とんぼ   *朝はどこから   *あの町この町   *雨降りお月さん

 *あめふり   *あめふりくまのこ   *いい日旅立ち   *いつまでも夢を   *犬のおまわりさん

 *上を向いて歩こう   *海   *うれしいひなまつり   *江戸子守歌   *おうま   *大きな栗の木の下で

 *大きな古時計   *おかあさん   *お正月   *おはなしゆびさん   *朧月夜   *思い出のアルバム

 *おもちゃのチャチャチャ   *かあさんの歌   *風(草川信)   *肩たたき   *かもめの水兵さん

 *からたちの花   *川の流れのように   *汽車   *汽車ポッポ   *今日の日はさようなら

 *靴が鳴る   *こいのぼり   *高校三年生   *荒城の月   *秋桜   *この道   *こんにちは赤ちゃん

 *さくら貝の歌   *さくらさくら   *サッちゃん   *里の秋   *幸せなら手をたたこう

 *叱られて   *四季の歌   *時代   *しゃぼん玉   *ずいずいずっころばし   *スキー

 *背くらべ   *世界に一つだけの花   *ぞうさん   *早春賦   *たきび   *ちいさい秋みつけた

 *茶摘み   *チュウリップ   *月の砂漠   *翼をください   *手のひらを太陽に

 *通りゃんせ   *どこかで春が   *ドレミの歌   *どんぐりころころ   *とんぼのめがめ

 *ないしょ話   *涙そうそう   *夏の思い出   *夏は来ぬ   *七つの子   *花(嘉納昌吉)

 *花(瀧廉太郎)   *花の街   *埴生の宿   *浜千鳥   *浜辺の歌   *春が来た   *春の小川

 *ふじの山   *冬景色   *冬の星座   *故郷   *蛍の光   *牧場の朝   *見上げてごらん夜の星を

 *みかんの花咲く丘   *虫のこえ   *むすんでひらいて   *村祭   *めだかの学校   *もみじ

 *椰子の実   *夕日   *夕やけこやけ   *雪   *揺籃のうた  *旅愁   *リンゴの歌   *われは海の子


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