

( 平成19年08月30日 更新 )
[ 現在の防衛大学校全景 ] (防大ホームページから借用)
は じ め に
久里浜に開校されたばかりの保安大学校の校門を1人の坊主頭の少年(爺さん)がいっぱいの不安を抱いたまま入っていきました
終戦から未だわずかに8年半を経過したばかりの 人造米のご飯を主食とした未だ国力の乏しい 昭和29年の春 のことでした
それは 久里浜にある [ペリー上陸記念碑] から近い距離に在る警察予備隊の施設を間借りした 木造のみすぼらしい 宿舎 と 校舎 でした
私は 112小隊 に配属され、指導官は 横山登1等陸士 (大尉) でした
昭和29年4月13日、久里浜川を挟んだ向かいの 陸上警備隊通信学校の校庭で M-1ライフルを執銃しての入校式を無事に終えて最初に外出を許可されたのは 4/15の日曜日だったと思います
来年春に入校してくる3期生を今、小原台上で建設中の新校舎で初めての入校生、後輩の学生として受け入れることになっていたのです
入校時、親父が持たせてくれたカメラで写したその時の古い写真がアルバムに残されておりました
このたびやっと スキャナーを更新して古く色あせた写真をデジタル化して整理すろことができましたので
『 セピア色の学舎 』 と題してホームページの1ページとして公開します
これら数枚の写真を見ているとあの [朝鮮戦争] の最中、武山の米海兵隊キャンプからかき集められたブルトーザーが猛烈な砂塵が巻き上げながら東京湾要塞の跡形が残る小原台を掘り返していた情景が昨日のように回想されます
米海兵隊がこれら重機を持ち寄って造成の加勢をしてくれたのは、後に空自パイロットとして活躍された1期生の歳新基一さんの功績だったように当時聞いておりました
防衛大学校創設期の資料、特に小原台上に校舎が新設されて行った工事中の写真などは、当時を偲び懐かしむことができる1,2期生の人には観てみたいものではないかと思い手元に残っていた数少ない写真ですが整理してみました
セピア色になってしまったものばかりですが将来に残しておきたいこれら数枚の写真を紹介します
[ 馬堀海岸、馬堀中学校を過ぎて小原台へ (本館屋上から) ]
[ 小原台への急な坂道を砂塵をあげながら上ってくるGMC ]
[ 建設中の小原台上から猿島を遠望 ]
[ 建設中の学生食堂(右)と調理室(左) ]
[ 調理室の内部 ]
[ 本館屋上から東京湾(猿島)を遠望 ]
[ 完成に向かって急ピッチで工事が進む学生舎4棟 (当初 5大隊の学生舎はない) ]
[ 本館屋上から図書館、講堂、学生舎を遠望 ]
[ 武山駐屯地からボランティア支援のブルトーザー@ ]
[ 武山駐屯地からボランティア支援のブルトーザーA ]
[ 武山駐屯地からボランティア支援のブルトーザーB ]
[ 武山駐屯地からボランティア支援のブルトーザーC ]
[ 初代防衛庁長官 木村篤太郎氏が揮毫する防衛大学校の表札]
( 昭和29年7月1日 保安庁から防衛庁に、保安大学校から防衛大学校に改称 )
[ 防衛大学校久里浜北校舎の正門
[ 防衛大学校久里浜南校舎の正門 ]
[ 米軍ファンシードリルの展示 (久里浜北校舎前で) ]
[ 竣工間もない昭和32年頃の小原台新校舎 ]
( 遠方東京湾には戦時中の防潜網が自習室から見えていた )
[ 学生食堂で昼食中の爺さん(3学年時) ]
[ 小原台の東部には戦時中の砲台の跡が各所に残っていた ]
[ 波浪の高い走水でのカッター訓練 ]
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[ 2期生航空要員の部隊実習 (浜松南基地 C-46) ]
[ 2期生航空要員のC-46体験搭乗 ]
[ 部隊実習中に F-86F前で ]
[ 大学受験申請用の写真 ]
[ 保安大学校入校直後の爺さん ]
- 以上 -
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